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2021年1月28日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

元産經新聞論説委員長

元産經新聞論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員、産経新聞社監査役を歴任。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

  国の分裂修復の期待を背負ってバイデン米政権が発足した。

 新大統領は、予測不能な行動で国民、世界を翻弄し続けた前任者のドナルド・トランプ、黒人初の大統領だったバラク・オバマ、女性の魅力にあらがえなかったビル・クリントン各氏ら前任者たちにくらべると、語られるエピソードがいまひとつ少ないようだ。

 しかし、長年にわたる議会での活躍ぶり、言動を省みると、そこからは、やはり老獪な政治家としての実像、人間バイデンの素顔をうかがうことができる。

(Massimo Giachetti/gettyimages)

公聴会で見せた思いやり

 ある時は強面、あるときはアクの強い皮肉屋、あるときは粗忽なおじさんー。

 昭和の名優、片岡千恵蔵演ずる探偵・多羅尾伴内(たらお・ばんない)が仮面を脱ぐときの口上をまねてバイデン氏を語るとこうなろうか。古いたとえを持ち出して恐縮だが。

 筆者が初めてバイデン氏に注目したのは1991年10月の最高裁判事指名公聴会だった。

 バイデン氏は当時、上院司法委員長として、ブッシュ大統領(先代)が最高裁判事に指名したクラレンス・ストーマス氏の所信を問う公聴会を主宰した。

 トーマス氏は、指名を受けた後、FBI(連邦捜査局)などの身辺調査で、以前、連邦雇用平等委員会(EEOC)の幹部だった際、部下の女性に対するセクハラ行為があった疑惑が指摘され、公聴会は難航が予想されていた。

 被害を訴えたアニタ・ヒル・オクラホマ大学教授(当時)が公聴会に出席して、被害についての証言を始めようとしたとき時、入り口近くでざわつく声が上がった。その程度なら委員長は普通、無視して議事を続けるのだが、バイデン委員長には何か、ピンとくるものがあったのだろう。

 議事を中断して職員に「どうした」と声をかけたところ、思いがけず証人席のヒル女史が恥ずかしそうに「私の両親です。部屋に入れてもらえないようです」。

 バイデン氏はすかざず「お入りなさい。椅子を用意しますから」とにこにこと声をかけ、証人席の近くに案内させた。

 当時、ニューヨークに滞在中だった筆者は、このテレビ中継を見ていたが、緊張して証言する娘のそばにいてやりたいという両親の思いをかなえようと、議事の途中にかかわらず自ら指示を出したバイデン氏にほのぼのとしたものを感じたものだった。

 もっとも、あとで聞くと、そのときバイデン氏は「この公聴会を進めなければならないので、あなたの弁護士や家族は必ずしも最前列にいる必要はない」と、冷淡とも思える言葉をヒル女史に吐いたと伝えられている。

 マイクが拾わなかったのか、テレビでは聞こえてこなかったが、このことは後に蒸し返されて問題になる。それは後で触れる。

 トーマス判事の指名についていえば、最終的に上院本会議で僅差で承認された。同判事の指名をめぐっては、ヒル教授以外にも、支持、不支持、さまざまな証人が登場、日曜日深夜から月曜日未明にかけての徹夜の公聴会など多くのドラマがあるが割愛する。

証言者に理不尽な言葉投げる

 バイデン氏を間近でみることになったのは、ワシントン特派員として赴任した1995年以降。当時、氏は上院外交委員長、押しも押されもせぬキャピトル・ヒル(議会の別名)の実力者だった。

 1998年9月、国連のイラク大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)に対して、米政府高官が、調査に〝手ごころ〟を加えるよう圧力をかけたという疑惑が浮上、上院外交委員会が公聴会を行った。

 干渉に抗議して辞任した米国人主任査察官が証言、オルブライト国務長官ら当時のクリントン政権高官を名指し、「形式的には支援の態度をとりながら、実際には圧力をかけて査察の中止、延期を画策した」と、非難した。

 このとき、バイデン委員長は突然、査察官を見据えながら凄みのきいた声をあげた。「国務長官はあなたよりはるかに重要な仕事をしている。あなたはそれを知っているのか」と質問とも恫喝ともつかない発言で周囲をおどろかせた。

 査察官は反論せず、バイデン氏をにらんでいるだけだったが、世界の脅威を除去するために仕事をするのは、国務長官であろうと、一査察官であろうと熱意、公正さには変わりはないはずで、地位が低いからといって理不尽な言葉で誇りを傷つけられた査察官の無念さは察するにあまりあった。

 クリントン政権が査察団の調査に口出ししたのは、イラクとことを構え、厄介な事態になることを避けたかったからだといわれるが、バイデン発言が効いたわけではなかろうが、この疑惑はその後、うやむやになってしまった。

 最終的には次のブッシュ政権(子)に持ち越され、イラク戦争につながっていく。

 イラク戦争でサダム・フセイン政権が崩壊した後も、大量破壊兵器がみつからなかったことはよく知られており、あの時点で、大量破壊兵器の存在に結論を出していたら、イラク戦争に至らなかった可能性を指摘するむきもある。

 ちなみに、バイデン氏は2003年のイラク戦争に賛成票を投じ、終了後に慎重姿勢に転じ、兵力増派に反対している。

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