チャイナ・ウォッチャーの視点

2021年5月7日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 4月26日に中国国防部が表明したところでは、訪越中の魏鳳和国防部長がべトナム共産党中央委員会のグエン・フー・チュン書記長、グエン・スアン・フック国家主席と会談した際、べトナム側は「他の国家に追随して中国に反対することは永遠にありえない」と伝えたとのことだ。

 その際、グエン書記長は(1)べトナム革命、民族独立闘争、社会主義建設における中国からの一貫した貴重な支持を高く評価する。(2)双方は信義と尊重を基礎に、友好的な協議と妥当な処理を通じて南シナ海問題を処理し、この問題が両国関係の大局に影響を与えることを回避する――と付け加えている。

 一連のべトナム側の発言を、現在の中越関係からどのように捉えたらいいのか。

 中越両国が南シナ海の領有問題をめぐって激しく対立している現状から考えるなら、やはりグエン書記長の発言は理解に苦しむ。これが日本人の一般的反応だろう。だが両国関係の歴史に照らすなら、強ち荒唐無稽なお人好し発言とも、なぜか受け取れないのである。

 そこで、べトナムがアメリカと死に物狂いの戦いを演じていた1960年代半ばから15年ほどの間の中越関係を、改めて中国の側から振り返ったみたい。

中越国境の町ラオカイ(fightbegin/gettyimages)

 べトナムと国境を接する広西チワン族自治区在住の包玉堂は、べトナムにおける反米民族闘争を讃える文学作品を数多く発表している。それらを収めた『在天河両岸(天河の両岸にて)』(包玉堂、広西人民出版社、1973年)には、当時のべトナムに対する「中国からの一貫した貴重な支持」と激しい反米感情が渦を巻いている。

 たとえば文化大革命が始まる1年ほど前の1965年5月に記された長編詩「戦闘だ、英雄的なべトナムよ」は、べトナムを擬人化し「キミは太平洋の西岸にすっくと立ち、まるで英雄的な巨人のように威厳に満ちている」と讃えた後、

 「おおべトナム、英雄的なべトナムよ。三千万人民は共に復仇の怒りに燃え勇猛果敢に戦いを挑み、革命の巨大な紅旗で妖気に満ちたどす黒い雲を払い除け、世界人民の反米闘争の最前線に立つ。

 おお、べトナム、英雄的なべトナムよ。キミは虐げられ圧迫された民族の反帝闘争における輝ける象徴だ。三千万人民の真っ赤な心は太陽と月を照らし、三十三万平方キロの大地はまるで堡塁だ。

 見よ、キミの北方の麗しき大地を。無数の銃口が怒りの火を噴き、人民の憤怒が紅蓮の炎を挙げる。空からの飛賊(しんりゃくしゃ)は串刺しにされて地上に落下し、海からの水鬼(ごうとう)の死体は浜辺に並ぶ。

 祖国統一のため、自由解放のため、万悪の米侵略者を徹底して叩きだせ。べトナムの大地に、人を貪り喰らう豺狼(ハイエナ)を一匹たりとも住まわすな。

 民族独立のため、完全なる領土のため、撃て、撃て、撃って撃って撃ちまくれ。米帝国主義者がべトナムから尻尾を巻いて逃げ出すその日まで。

 おお、戦闘だ、英雄的なべトナムよ。七億の中国人民はキミの傍に立ち、アルバニアと朝鮮の人民もキミと共に立ち、全世界の革命的人民は悉くキミと共に立つ。

 べトナムの英雄よ。すでに米侵略者は死の淵に追いつめられた。正義はキミのものであり、真理はキミの手にある。勝利の紅旗はキミの神聖な大地に、限りなく広がる紺碧の空に、永遠に翻るのだ!」(抄訳)。

 読んでいるだけでも気恥ずかしくなるような大仰な形容詞の羅列からも、べトナムの反米闘争を支持する中国側の激情が伝わってくるだろう。この動きに子どもを巻き込んだことは言うまでもない。そこで子ども向けのプロパガンダが展開された。

 たとえば児童書『越南小戦士 阿亮』(姜維 人民美術出版社 1972年)では、反米闘争に参戦する13歳の「越南小戦士(ベトナムの小さな戦士)」の阿亮クンの英雄ぶりが大絶賛されている。

 阿亮クンは南べトナムの農村の少年だ。米軍は民族解放の戦士を殺し、彼の故郷である豊かな農村を焼き払い、北べトナムを侵略するための飛行場を建設する。

 米兵の横暴に抵抗した父親は拉致されて行方不明。母親は死の一歩手前まで激しく打ちのめされた。だが阿亮は涙を見せない。怒りの炎を胸に、反米救国の戦いを続ける民族解放戦線のゲリラ闘争に飛び込んだ。一人前のゲリラ戦士としての訓練を黙々と積み重ね、「来るなら来い。小汚いアメリカ猿の侵略野郎ドモ」と、手榴弾で米兵に立ち向かう。

 ある日、隊長から「農民の子どもに変装し、敵飛行場を探れ」との任務が下る。阿亮クンは決死の覚悟で敵地深く潜入し、敵飛行場の詳細な情報を後方に陣した自軍に伝える。

 「撃てーッ」と隊長の号令が下るや、米軍飛行場めがけて大砲や迫撃砲が民族の怒りを込めて一斉に〝正義の火〟を噴く。駐機中の戦闘機は破壊され、米兵は「パパ、ママーッ、助けてーッ」と泣き叫び、逃げ惑う。本当は彼らは弱虫だったのだ。

 逃走しようと次々に離陸するヘリコプターに照準を合わせ、阿亮クンの手にしたライフルが火を噴く。ヘリコプターは次々に撃墜され、地上に激突して炎上する。「助けてーッ、許してくれーッ」と米兵は銃を差し出して命乞いである。情けない奴らだ。

 米軍基地に囚われていた人々は解放された。嬉しいことに、その中に阿亮クンの父親も。誰もが口々に「阿亮、偉いぞ。立派なもんだ。スゴイ働きだ」と。

 当時、中国メディアは中国の子どもたちに「越南小戦士」のように米帝国主義と勇猛果敢に戦うように教えた(いや、煽った)。どれほどの子供たちが米帝国主義を“憎悪”させられ、心を躍らせたことだろうか。

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