2024年4月25日(木)

近現代史ブックレビュー

2021年9月16日

変わらなかった日本の特質

 ここから、著者は次のようなことも明らかにしている。
日本側は最後までソ連の仲介による和平交渉を考えていた。このためポツダム宣言にソ連が署名していなかったことに重大な意味を見、そこから交渉の余地を見出し時間をとることになってしまった。

 しかし、アメリカは核保有により、日本軍の死に物狂いの抵抗により莫大な被害が出ると予想された本土決戦以外の単独の手段を得たと感じ、ポツダム宣言からのソ連の排除を決めたのだ。核保有がポツダム宣言に与えた影響は、その遅延でもなく核使用を前提とした口実作りでもなくソ連の排除だった。

 ここから著者は次のような結論を導いている。アメリカはポツダム宣言にスターリンの署名を求めるなどして、日本がソ連の仲介という「幻想の外交」を捨てポツダム宣言をより受諾しやすくなるよう仕向けるべきであった。アメリカはこの措置を取らなかったために、原爆使用という極めて大きな人道上の問題を抱え込むのみならず、それによっても日本が降伏しなかった場合は自軍の犠牲であがなわなければならなったはずであり、太平洋戦争の終結過程で暴力の烈度を上げるに際して対応に慎重さを欠いていた。

 一方、日本は自分たちが守ろうとしている価値が理性に見合うものなのか(膨大な犠牲を払っても国体が護持できるのかなど)を正しく認識すべきであったし、ソ連仲介策の非現実性に向き合うべきであった。すなわち、ポツダム宣言をさらなる有利な和平交渉の足がかりにしようなどと欲を出さず、「損切り」を行う勇気を持つべきなのであった。

 これが著者の結論である。

 著者は言っていないが、日本は日米戦争の前の日米交渉においても、中国からの撤兵回避にこだわり「損切り」を行うことができず日米開戦という誤った選択をしたのだが、終戦においても同じ過ちを犯したというわけである。「英霊」=「積み重なったこれまでの犠牲」のことを考えると指導者が「損切り」という合理的行為を極めて行いにくいのが日本の政治・社会の変わらぬ特質なのである。

 以上に見られるように、この点をはじめ多くの論点において著者の主張は極めて新鮮で示唆されることが多い。ただ疑問点がないわけではない。
 例えば広島の原爆後、長崎に原爆が落ちたことについて著者は、「この会議(8月9日の最高戦争指導会議)中、午前11時過ぎに2発目の核が長崎に使用されたとの報が入ったが、審議に影響した様子はなかったとされる」としている。しかし、五百旗頭真氏は早くに長崎への原爆投下は終戦の判断に重要な影響を与えたと指摘している。

 最高戦争指導会議で、阿南惟幾陸相と梅津美治郎参謀総長は「果して米国が続いてどんどん之(原爆)を用い得るかどうか疑問ではないか」として、4つの条件を主張して譲らなかったのである(「豊田副武手記」)が、長崎への原爆使用によりこの「希望的観測は無惨に打ち砕かれた」のである。

(原爆が)0と1では無限に差があり、1と2も質的に異なるが、2があると「あとは連続的に続くと考えねばならなった」と五百旗頭真氏は指摘している(『日米戦争と戦後日本』講談社学術文庫、2005年)。この指摘は間違いだったのだろうか。

 また、阿南陸相が辞任して陸軍が後任を出さなければ鈴木貫太郎内閣は倒れることになるという指摘のところで、「これこそが軍部がこれまでに日本政治を支配してきた常套手段であった」としている。しかし軍部大臣現役武官制によって陸相を陸軍が出さず内閣を倒すことが「日本政治を支配してきた常套手段であった」というようなことはなかった。この点は評者がすでに指摘したとことであり、既存の研究を十分参照して欲しかったと思う(筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治』岩波書店、2007年参照)。

 それにしても、ヨーロッパの終戦の問題など多くの重要な指摘に満ちた本書を一部しか紹介・検討が出来なかったことは残念でならない。しかし、冒頭に述べたように十分な根拠もない誤った説が非常に広範囲に流布している現在、日本終戦史に大きな貢献をした優れた著作である本書を紹介できることをうれしく思っている。大いに読まれ活発な議論が起こることを期待したい。

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Wedge 2021年10月号より
人をすり減らす経営は もうやめよう
人をすり減らす経営は もうやめよう

日本企業の“保守的経営”が際立ち、先進国唯一ともいえる異常事態が続く。人材や設備への投資を怠り、価格転嫁せずに安売りを続け、従業員給与も上昇しない。また、ロスジェネ世代は明るい展望も見出せず、高齢化も進む……。「人をすり減らす」経営はもう限界だ。経営者は自身の決断が国民生活ひいては、日本経済の再生にもつながることを自覚し、一歩前に踏み出すときだ。


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