近現代史ブックレビュー

2021年10月15日

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筒井清忠 (つつい・きよただ)

帝京大学文学部長

1948年大分市生まれ。帝京大学文学部長・大学院文学研究科長。東京財団政策研究所上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)、『二・二六事件と青年将校』(吉川弘文館)など著書多数。

 近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載はこうした状況を打破するために始められた、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。
橋川文三
野戦攻城の思想

宮嶋繁明 弦書房 2640円(税込)

 近現代日本政治思想史の研究において橋川文三の存在は極めて大きい。戦後この分野で決定的に重要であった丸山眞男の昭和超国家主義の研究を橋川は根底からひっくり返したからである。

 橋川にはどうしてそういうことが可能であったのか。いわばその秘密を解き明かしたのが本書である。言い換えれば橋川の学問・思想の全体像は本書によって初めて明らかにされたともいえよう。

 そのように重要な橋川の仕事なのだが、現在入手しうる著作は必ずしも多くはない。そこで、以下では、未知の読者のため、橋川の著作の中から代表作『日本浪曼派批判序説』、「昭和超国家主義の諸相」、「乃木伝説の思想」、「小泉三申論」の4点の内容の紹介に大きなウエイトを割きつつ、本書を見ていくことにしたい。

橋川がみた「日本浪曼派」

 橋川のデビュー作は『日本浪曼派批判序説』(初版は1960年・未来社刊、現在は講談社文芸文庫)であった。戦争中の自分を強く引きつけた日本浪曼派について戦後誰も内在的に検討しないことを疑問に感じていた橋川が、戦後十余年を経てようやくそれを行ったのだった。保田与重郎に代表される日本浪曼派ほど、戦時の青年知識人を引きつけたものはなかったにも関わらず、戦後は罵倒か無視しかないという奇妙な状況に「ノー」を突き付けたのである。

 ただ、厳密に言えば、橋川以前に問題を投げかけた人として竹内好がいた。竹内は、〝戦後の近代主義者は血塗られた民族主義をよけて通った。自分を被害者とし、ナショナリズムのウルトラ化を責任外のこととした。彼らは日本浪曼派を黙殺したが、日本浪曼派を倒したのは外の力(アメリカ占領軍)であるにも関わらず自分が倒したように過信したのだ〟と言ったのである。日本知識人の集団的責任回避といじめの構造を竹内は突いたのであった。

 橋川はこれを受け、日本浪曼派への「発生根拠に立ち入った批判」を求めるとともに、かつてはそれに強く惹かれた「自己の精神的位置づけ」を明確なものにしようとしたのである。

 そこから、日本浪曼派の背後にあった、左翼運動挫折後の昭和7年(1932年)~9年頃の「青年のデスペレートな心情」が注目され、〝インテリの挫折感を媒介としつつより広汎な中間層の一般的失望・抑圧感覚に対応するもの〟としてそれが形成されたことが解明されていった。当時「日本の古典にみちびいた唯一の運動」が日本浪曼派であり、それは「失われた根柢に対する熱烈な郷愁をかきたてた存在」であったことを明かにしたのである。

 あの昭和十年代の「深い夢を宿した強い政治」への渇望の基礎には、小林秀雄が指摘した「郷土喪失」「根柢喪失」の意識が存在したという指摘は橋川ならではと言えよう。

 さらに、マルクス主義、国学、ドイツロマン派が保田与重郎の思想的基盤にあったことが指摘され、〝日本浪曼派は前期共産主義・マルクス主義の革命運動に初めから随伴したある革命的レゾナンツ(共鳴)であり、倒錯した革命方式に収斂したものである。それは第一次世界大戦後の急激な大衆的疎外現象(マス化、アトマイゼーション)を伴う二重の疎外に対応するための応急な「過激ロマン主義」の流れであった〟というユニークな指摘も行われたのであった。

 尤も、マルクス主義の力が非常に強かった戦後のこの時期だから〝ユニーク〟だっただけであり、今日から見れば、「マルクス主義→日本回帰」というのは多くの昭和知識人の辿ったコースだから、程度の差こそあれ後者に何らかの前者の痕跡があるのはある意味では当然の指摘であったとも言えよう。

 いずれにせよ、橋川の考察の意義は大きく、日本浪曼派は思想史的問題として初めて本格的に検討されることになったのだった。日本浪曼派に大きく影響を受けた作家・三島由紀夫の伝記は橋川が初めて書くことになり、三島の『文化防衛論』をめぐり二人の間で論争が行われることになるし、時代小説作家で芥川賞を受賞した五味康祐の小説『秘剣』と日本浪曼派との関係という問題もこの書で橋川が指摘したことであった。

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