2024年4月19日(金)

近現代史ブックレビュー

2021年10月15日

黒幕・策士の資格とは何か

 橋川の書いたものにはこのように歴史的事件を扱って人物の内面に迫る忘れられないものが多いが、「小泉三申論」もその一つである。

 小泉三申(別称、小泉策太郎)は第二次護憲運動を背後で動かした政界の黒幕・策士と言われた人だが、若い時は人物史論家として知られ(『明智光秀』岩波文庫所収等)、経済界でも大きく活躍した人だった。幸徳秋水の親友だったが、親友でも思想は必ずしも一致しないというのが考えの基本だった。

 そこで橋川は黒幕・策士の資格とは何かを考える。西欧のそれにシュテファン・ツヴァイクの書いたジョセフ・フーシェがある。あの変転するフランス革命期の中、あらゆる権力闘争を乗り越えて生き抜いたフーシェを、ツヴァイクは、カトリック人間学に精通し、警視総監としてあらゆる人間の情報を掌握した、徹底した無原理の人間として描いた。橋川はここに一つのヒントを見る。

 小泉三申を政治的黒幕・策士というのは、人間を動かすことにより政治的局面の打開・展開を計る存在ということなのだが、そこにおいて何よりも必要な資格は、原理ではなく人間の精通者であることだったと橋川は言う。

 小泉三申は、思想により人を見るという習性から全く自由だった。思想より人間そのものへの濃厚な関心の持ち主だったのである。当然、思想的に寛容とも言えるが、西欧的トレランスというのとはまた違った。

 読史の素養から来る、人間を劇的なものとして捉える嗜好が強く、あるすぐれた主情的感動を与えるものへの平衡のとれた共感を一貫して持っていた。繰り返すが、それは人間への共感であって、その人間の信奉する思想への共感ではない。そこにおいては人間の劇化価値・共感の容量が重要であった。

 言い換えれば、政治においては情熱が重要であることを知り抜いていたということである。しかし、事実への情熱を説いたマックス・ウェーバーと違い、ドラマタイジングへの情熱こそが何よりも欠かせぬものであり、それが政治において人を動かす力の根源だと小泉は知っていたという。

 第二次護憲運動において国民を感動させ運動を勝利に導いたのは、政友会総裁・高橋是清が爵位を投げ出し貴族院議員を辞職して暗殺に倒れた原敬の選挙区から衆議院選挙に打って出たことだが、小泉三申がそれを行いえたのも、この感性による。

「原の横死で政友会は大阪城に来たのだ、関ヶ原の一戦なくして、政友会が治まる筈がない」「其戦いを闘うには今が時期である。貴族院が政権を握るに対して、吾々は衆議院本位で進む、吾々の方が正論正義だ。総裁(高橋)も貴族なんか廃めて、衆議院に打って出る。そして関ヶ原の戦争をやる決心をなされ度(た)い」と小泉が言うと、「恬淡無欲」の高橋是清は「よしやる。華族を廃めるなど何でもない。君其手続を教えて呉れ」と言い、「闘争の感激に燃えて二人は深更泣いて別れた」という(馬場恒吾『現代人物評論』<中央公論>1930年)。護憲三派は貴族院中心の清浦超然内閣打倒に結束して勝利し、加藤高明護憲三派内閣が成立、普通選挙が実現し日本の議会制民主主義は大きく前進したのだが、そのもとには小泉のこの高橋説得があったのだ。

 政治を語る時、小泉三申のような存在が重要であることは、誰しも知っているはずだが、政治研究者はまともに扱い分析しようとはしない。彼らの近代主義的分析枠組の手に余るからだ。そこを橋川は突いたのである。が、未だに後は続かないようだ。

橋川文三研究の起点

 そのほか、『日本の百年』シリーズ(ちくま学芸文庫)中の橋川の手になる『明治の栄光』、『アジア解放の夢』、『果てしなき戦線』もいずれも有益である。『明治の栄光』中、橋川が紹介する当時生きていた大逆事件関係者の「決死の同志の暴発」「当時の無政府共産主義者の志」という文章は忘れられない歴史の真実である。

 以上、集めたたくさんの資料を全部載せようとしたため資料集的になりすぎた点や、『日本の百年』についての評価が異なるところがある(72頁と146頁)などの瑕瑾もあるが、その全貌を初めて余すところなくまとめたものとして、本書は橋川研究の起点となる高く評価されるべき書物である。

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