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2021年9月24日

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筒井清忠 (つつい・きよただ)

帝京大学文学部長

1948年大分市生まれ。帝京大学文学部長・大学院文学研究科長。東京財団政策研究所上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)、『二・二六事件と青年将校』(吉川弘文館)など著書多数。

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 日本はなぜ対米開戦に突き進んだのか。軍国主義の時代、影響力を強めた軍が国民を戦争へと引きずり込んだと考えている人も多いようで、確かにそういう面もあるが、それだけでは歴史の単純化にすぎない。歴史は点ではなく線から読み解かねばならない。

 その意味で、「1930年代の危機」を20年代の終わりから41年までの期間として丁寧に振り返る必要がある。国内的背景、国際関係的背景の2つから、見ていきたい。

中国の長春には満州国国務院(写真中央、現・吉林大学)などの建築物が今も残る。満州事変以前、23万人の在満邦人の処遇が日中間の問題となっていた (TONY SHI PHOTOGRAPHY/GETTYIMAGES)

 まず、国内的背景について、重要なことは軍人台頭の社会的背景としての軍人の不遇ということがある。31年の満州事変以前の日本では、軍人の社会的地位は非常に低いものだった。約1600万人の死者を出した第一次世界大戦により戦後世界の世論では反戦・平和主義が非常に強い力を持つことになり、海軍の軍縮条約に続いて陸軍でも大規模な軍縮が行われ、約9万6400人の人員削減が行われた。

 その場合、問題は将校である。十分な手当てがないままに、尉官級以上の約3400人が突然無職になる悲惨な状況になった。そして、将校が制服で街を歩くと「税金泥棒」と言われて蹴られたりするので、彼らは軍事官庁に勤務する際は背広で出勤し、役所で軍服に着替え、帰宅する時はまた背広に着替えて帰るというありさまであった。こうして軍人たちに大きな不満が溜まる中、自分たちの存在を否定された若い青年将校たちは悩み始め、現体制の変革を求める昭和維新運動などに参画することになっていくのである。

 こうした中、29年に世界恐慌が起き、大量の失業者が発生し、世界中の資本主義国家は危機的な状況に陥った。

 最も衝撃を受けたのがドイツのワイマール共和国であり、ドイツ共産党とナチ党という左右両翼の急進主義が台頭、結局ヒトラーの制覇を招くことになる。

 日本でも農村部では娘が身売りを強いられるような惨状となった。これにより〝このままでは日本は衰亡あるのみ〟〝一挙的現状打破〟という声が強まり、やはり左右両翼の急進主義が台頭する。安定した確固とした自由民主主義的議会政治が存在しないと、世界恐慌のような事態となれば、急進主義の伸長を防ぐことが極めて難しくなるのである。

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