戦前戦時の日本には、娯楽に対する検閲が存在した。内務省・逓信省の官吏や警察官などが、映画、レコード、舞台演劇、ラジオ放送、新聞書籍雑誌などのメディアに安寧秩序の紊乱(びんらん)や風俗壊乱のおそれがないかをチェックしていた。
当時、メディアは相当程度に普及していた。たとえばラジオの普及率は、日中戦争開戦前年の1936年度には21.4%だったところ、開戦後に普及が加速し、44年度には終戦前のピークである50.4%に達した。これは戦況のニュースに需要があったためでもあった。
ただ、国民のすべてが娯楽を享受していたわけではなかった。国民の中には、お笑い芸人が舞台で滑ったり転んだりすれば〝下らない〟と言い、子どもが映画出演者のギャグを真似れば〝けしからん〟と言い、流行歌を歌えば〝教育上悪い〟と目くじらを立てる人もいた。
そうした人の中には、居ても立ってもいられず、警察や新聞、放送局に投書によって抗議をする人があった。
「投書階級」と呼ばれた人たちである。当時の検閲担当者にとって、彼らの声は無視できないものがあり、しばしば抗議を受け、取り締まりが強化された。戦時中の検閲や統制に関しては、これまで政府や軍の暴力性・抑圧性が強調されてきたが、それらが消費者市民に由来する側面があったのである。
厳重に取り締まりを
舞い込む批判の投書
日本放送協会(現在のNHK)には、40年には3万6000通余りの投書が届いたという。投書階級にはサラリーマン、官公吏、教員、商業関係者などが多く含まれ、彼らは大正期以降に一定以上の教育の普及や都市化を前提として出現した新中間層に該当した。
一方で、投書はインテリのすべきことではない、とも見なされていた。投書は利己的な主張にすぎないと見られていたのである。反面、娯楽を享受する大衆は投書とは無縁だった。
投書階級はこの両者の間に位置した。彼らは政治、経済、教育、社会風潮などに一家言を持ち、自身を大衆と同一視されたくないがために投書により意識の高さをアピールした。
これに対して内務省などの検閲官は、多くが大学を出て教養主義を身につけたインテリだった。彼らは欧米の芸術的な映画や演劇作品を模範とし、大衆には少しでも芸術味のある娯楽を与えて人格を向上させる必要があると考えていた。
投書階級が敏感だったトピックの一つに、子どもと娯楽の問題があった。娯楽の教育に及ぼす影響が懸念されたわけである。ここには、受動的な検閲官に対し、投書階級が取り締まり強化を求めていたという構図を見出すことができる。流行歌の事例を基に、両者の力関係を紹介する。