2024年11月23日(土)

Wedge REPORT

2021年8月26日

 35年、「あなた」「なんだい」の掛け合いで有名な流行歌『二人は若い』が発売された。この曲が流行り出すと、新聞に批判の投書が舞い込み出した。「このごろ四つ五つの子供がさかんに『あなたと呼べば』と唄つてゐる」が、これは「耳から飛びこみ童心を蝕むパチルス【編集部注:細菌】」であるから「府保安課【編集部注:大阪府警保安課】で厳重取締つてほしい」(『大阪朝日新聞』36年6月13日朝刊)、という類いであった。

 続いて36年末、流行歌『あゝそれなのに』が発売され、『二人は若い』以上に流行する。すると新聞には、小学生が『あゝそれなのに』を歌っているうえ、「私には五歳になる男の子がありますが、私が夫を【編集部注:「あなた」と】呼ぶのを聞いて坊やが〝ナーンダイ〟と茶化します。私は恐ろしくなりました」(『東京朝日新聞』37年3月14日夕刊)、という投書が掲載された。

 事前検閲のうえこれらレコードの発売を許可していた検閲官は、当初こそ「当局としてはあの程度の内容の歌詞は許可しないわけには行かない時代だと思ひます」と弁解した(同)。しかし検閲官は明らかに投書階級に押されていた。最終的に『あゝそれなのに』は、歌手の美(み)ち奴(やっこ)の声が「エロ」だ、とさらに大きな問題となり、事後的な取り締まりがなされたからである。当局は、メーカーに対して自発的にレコードの原盤を破棄するよう申し入れた。

「流行歌はいかんといふ人の中には、(中略)よく流行歌といふものを知らないで、先入主的な感情ばかりで云つてゐる人が多い」(『国民新聞』37年6月13日朝刊)。これは当時の検閲官の投書階級に対する批判である。しかし実際には、当局は投書階級に押しまくられていた。

 もちろん、投書階級の主張すべてが通っていたわけではない。たとえば日本放送協会には、日中戦争開戦後、〝西洋音楽は日本精神に反する〟という内容の投書が多く寄せられていた。これに対して同協会は、声楽や管弦楽の放送を文句の出にくい軽音楽の放送に振り替えることで西洋音楽の放送を維持した。だがいずれにしても、投書階級に対して何らかの対応を迫られていたことに変わりはなかった。

 投書階級の〝活躍〟は戦時中も続いた。お笑い芸人や巡業劇団の取り締まりや、ジャズ、パーマネント、横文字の芸名、パーセントなどの敵性語の排斥などを繰り返し主張して当局に対応を迫った。

今や「投書」は「ツイート」に
現代も続く「民意による統制」

 戦前戦中の娯楽統制は、政府や軍部よりも、投書階級の「民意」に由来する部分が大きかった。しかし、当時の投書階級のみを諸悪の根源と見なすだけでは、教訓は得られないだろう。投書を掲載した新聞界は、満州事変での速報を基に飛躍的に部数を拡大し、陸軍大臣から協力を感謝されていた。戦争報道と娯楽批判の投書が紙面に並ぶことで、世上の自粛ムードの盛り上げに貢献していたかもしれない。

 また、投書階級はしばしば流行歌を問題視したが、敗戦を経ても直ちに問題意識が変化することはなく、戦後も同じ光景が幾度となく繰り返された。『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』にも、登場人物が『愛ちゃんはお嫁に』や『ひと夏の経験』といった流行歌を歌って大人に怒られるシーンが出てくる。投書階級の問題意識はかなりの程度人々に共有されていて、投書階級はそれを代弁しただけとも考えられる。そうであれば、投書階級だけを断罪しても根本的解決にはなりそうにない。

 こと現代は、インターネットやツイッターなど新しいメディアの普及により、意見発信の参入障壁が戦時期と比較して格段に下がっている。今や誰もが投書階級よろしく、何気ないツイートで新たな抑圧を生むことができる。動画投稿サイト「ユーチューブ」上で1.6億回再生されたヒット曲『うっせぇわ』は、子どもが親に「うっせぇわ」と口答えをすると問題になっている。現代の自粛警察の姿は、意識の高さが社会の息苦しさを招いた戦中の投書階級の姿ともダブる。投書階級の問題は私たち自身の問題でもあり、他人事ではないのである。

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Wedge 2021年9月号より
真珠湾攻撃から80年
真珠湾攻撃から80年

80年前の1941年、日本は太平洋戦争へと突入した。
当時の軍部の意思決定、情報や兵站を軽視する姿勢、メディアが果たした役割を紐解くと、令和の日本と二重写しになる。
国家の〝漂流〟が続く今だからこそ昭和史から学び、日本の明日を拓くときだ。


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