チェリャビンスク州はソ連時代から、核開発関連の軍需産業拠点であり、部外者の立ち入りを禁止する閉鎖都市の一群があった。存在が秘密であるがゆえ、街の名前にはコードネームが使われた。
1957年、「チェリャビンスク65」と呼ばれ、現在はオジョルスクと改名された街で、プルトニウム製造工場が爆発した。放射能汚染により人体被害が広がったが、真実が明らかになったのはソ連崩壊後のこと。いま、放射線値に異常はないがその恐怖は人々の脳裏に染みついている。
会社を定年退職し、悠々自適の生活を送るサーシャは衝撃波がやってきた時、自宅にいた。サーシャは昔の記憶を思い出し、「核爆発があったのかもしれない」と思った。
しかし、周囲を見るとキノコ雲や火の手はあがっていなかった。専門家によると、この衝撃波はマグニチュード4の規模だったという。チェリャビンスクでは地殻が安定しており、人が感じるような地震はない。
チェリャビンスクでは多くの家屋が地震のように揺れた。サーシャは「うちの10階建のマンションは建物全体が揺れた。初めての経験で、とても恐ろしかった」と振り返った。
衝撃波の影響で、1600人ほどが負傷した。ほとんどが割れたガラスによるケガ。重傷も2人おり、集中治療室で手当てを受けた。被災家屋は7400棟にのぼり、割れた窓ガラスはほとんどが隕石の落下ルートの方を向く側にあった。
湖面に直径8メートルの穴
チェリャビンスク西方80キロにあるチェバルクリ湖。面積20平方キロの緑豊かな湖は、冬、30センチの氷が張り、湖面を車が通れるほどの厚さになる。
この日、漁師のユーラは凍結した湖面に穴をあけ、釣りをしていた。のどかな朝だった。すると太陽が昇った先の東の空が突然、光った。そして、やはり、爆発音。次第に、ヒュルヒュルヒュル~という甲高い音が近づいてきた。
自分がいた場所から500メートルほど先にある向こう岸で、突然、ドーンという音とともに、3~4メートルの水しぶきがあがった。ユーラは直感的にやはり飛行機が落下したと思った。