中国はソ連崩壊によるウクライナ独立後の1992年に世界で最も早く国交をウクライナと結んだ国の一つ。今年はちょうど国交樹立30周年にあたり、習近平国家主席とゼレンスキー大統領が1月に祝電を交わしたばかりだった。
ウクライナはソ連の「兵器庫」と呼ばれるほど軍需産業が集中したところで、冷戦後の独立後もソ連の35%の軍事産業を引きついだ。だが、ウクライナ軍単体に需要があるわけではなく、ウクライナ政府に軍需産業をとことん守る力もなかった。
問題は軍事関係の技術者や専門家と最新の技術だった。当然、ウクライナは世界の草刈り場となった。経済力のある米国、イスラエル、ドイツ、シンガポールなども動いたが、中国にはほかの国にはないアドバンテージがあった。
ソ連時代からの社会主義国同士の交流で積み上げた人的ネットワークだ。中国はソ連との間で科学技術や工業技術の交流があり、中国の研究者とウクライナの研究者との間で分厚い個人的関係があった。そうした人脈が、中国政府の要望でフルに動員され、ウクライナの人材獲得競争に乗り出したのである。
キーパーソンは当時の首相李鵬。天安門事件で悪名を響かせたが、李鵬はエネルギーや軍事に強い政治家で、「10年かけても育成できない優秀な人材を確保できることはわが国にとって千載一遇のチャンスである。決して逃してはならない」と号令した。
ウクライナから2000人もの専門家を招聘
立ち上がったのが「双引工程」と呼ばれるプロジェクトだ。
ウクライナを中心に、旧ソ連圏の人材と技術という「双子の遺産」を引き込むことを目指した。狙いはウクライナに向けられた。李鵬は、中国・ウクライナ関係において最大の功労者であると中国で今日広く認められている。
ウクライナの科学技術は、ロケット、宇宙航空産業、軍用艦船産業、燃料動力など、当時の中国が立ち遅れていた部門をことごとくカバーしていた。1994年にウクライナが国際圧力で核放棄を受け入れると、さらに核技術関連の人材が行き場を失った。多くの軍事企業が倒産し、失業した技術者たちを中国は厚遇した。
彼らはもともと旧ソ連下で社会主義的な生活スタイルに慣れていた人々で、中国での生活や研究にも比較的容易に適応し、何より自らの持っているプロフェッショナルな能力がリスペクトされ、仕事になる喜びを感じていたという。外国人で中国に貢献した人々に与えられる「友誼奨(ゆうぎしょう)」を多くのウクライナのスペシャリストたちが受け取っている。
2020年時点の中国メディアの報道では、この「双引工程」で合計2000項目の協力が行われ、その中で最も成功したものはウクライナ関係であり、ウクライナの専門家が招聘された人数は2000人に及んだという。
空母、ミサイルなど「欲しいものはすべてもらった」
中国がウクライナから手に入れた軍事技術でよく知られているのが、中国初の空母である遼寧号だ。ソ連がウクライナ(当時は連邦の一部)の企業に発注し、完成間際にソ連解体となって宙に浮いた船体を、マカオでカジノ船にするという口実で解放軍系のカバー企業が間に入って中国は手に入れた。
それをもとに中国は空母研究を続け、ワリャークは練習船を兼ねて遼寧号として就航し、さらに自主空母を作り上げるまでになっている。