2024年12月9日(月)

茂木健一郎「伝えたい日本」

2009年2月27日

 前回、日本人自身が、自らのすばらしさを鏡に映して見つめる必要があると申し上げました。そういえば、伊勢神宮の御神体は、「八咫鏡」(やたのかがみ)という丸い鏡ですね。鏡が御神体であるということは、それに映るのは当然自分です。この「鏡が御神体」って、すごいことだと思うんです。

 この鏡にまつわる神話はみなさんご存知だと思います。太陽を神格化したといわれている天照大神(あまてらすおおみかみ)が、あるとき天の岩戸に隠れたために世界が真っ暗になってしまった。困った人びとは天照大神に外に連れ出そうと、岩戸の外で歌舞音曲を一生懸命に演じる。するとその楽しそうな様子に興味を惹かれた天照大神が、天の岩戸から顔を覗かせる。人びとはすかさず八咫鏡を天照大神に翳します。彼女は八咫鏡に写った自分の姿に興味をもち、とうとう岩戸のなかから姿を現す。そこで世界が再び明るくなったという伝承です。これは認知科学的にみると、自己認識をしたことで、外の世界が明るくなるということを示唆していると言えるのではないでしょうか。

 さて今回は、多くのビジネスシーンで必要とされる“創造性”は、日本人にどのように根付いているかを考えてみたいと思います。

 私は以前、『ひらめきの導火線』(PHP研究所)という本を執筆するために、トヨタ自動車の工場に取材に行きました。トヨタの工場にはTPS(トヨタ・プロダクション・システム)と言われるものがあります。これは、車を生産する過程におけるシステムの改善点や新たな方法を皆で提案し合うというものです。そこには学歴の壁や地位による区別などはまったくありません。中学を卒業してすぐに働いている社員から、大学院を卒業している社員まで、みな同じ一枚の提案書にアイデアを書いて出すのです。そのアイデアが採用されれば報奨金がもらえる。報奨金といっても五千円程度の金額です。それでも社員たちは一生懸命に提案書を作成して、よりよい会社にしようと努力している。つまりは「どんな人間にも創造性が備わっている」という哲学が徹底しているのです。

 そのとき私はあることに気がつきました。それは、トヨタに見られる日本人の世界観と、たとえばノーベル賞のような、欧米の世界観は対極にあるのだということです。ノーベル賞の世界観とは、一部の天才のオリジナリティによって世界を変える、という考えです。

 しかし、よく考えてみれば、アインシュタインにしても、DNAの二重螺旋構造を発見したと言われているフランシス・クリックとジェームズ・ワトソンにしても、たった一人の力で理論を完成させたわけではありません。さまざまな先行研究があり、たくさんの科学者たちが理論のパス回しをしたからこそ、なしえた偉業なのです。

 こういう譬え話があります。「森のなかのネズミを鷹が捕まえた」。ヨーロッパ的な発想というのは、「ネズミを捕まえたのは、仕留めた鷹の力である」ということになります。ところが日本的な発想は、「確かに鷹がネズミを捕まえた。しかし、ネズミを生かしたのは何なのか。それは森という生態系によってネズミは育てられた。自然のネットワークのなかでネズミが大きくなり、そのことによって鷹はネズミを捕まえることができたのだ」。この譬え話はまさに、トヨタの世界観とノーベル賞の世界観との違いを言い当てています。要するにトヨタの世界観、あるいは創造性や独創性というものは、個人がもっているものではなく皆がもっているという発想です。それに対してノーベル賞の世界観とは、独創性というものは個人のなかにあると。まったく対極にある考え方なのです。


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