使命感そのものが希望になる
新しい年が明けても体調は思わしくないようだった。「この際、徹底的に治して1カ月で復帰しますから心配しないで下さい」と言い残して緊急入院をした。それからたった2週間後に彼の訃報を出張先のミャンマーで聞いた。最後の最後まで会社に行きたいと話していたと聞いて、彼の存在感の大きさに改めて気がついた。
すでに前立腺がんに罹っていたことを隠して結婚したような結果になったことが「妻には申し訳ない」という言葉になったのだろうと今になって気がついた。余命が1カ月とがん研で宣告されていたら、奥さんと温泉旅行でもしていたかもしれない。しかし、彼は財務部長として折からの円安(15%安)に対し、インパクトローン(外貨による貸付)の含み損を解消するために寝言までいっていたというので、やはり仕事を優先しただろう。
会社を新創業した時の危機感は大変なものだった。水沢君も、会社を立ち上げたからには継続させる使命があると考えていたはずだ。つまり、使命感そのものが彼の希望だったのではないかと思う。老子の言葉に「不幸は幸福の上に立ち、幸福は不幸の上に横たわる」というものがある。不幸だと思っていたのは、周りだけで本人は幸福だったはずだ。共に会社を立ち上げた者だからこそ、この幸福が分かる気がする。
同じ時期に私も前立腺がんの治療を経験したので分かるが、「希望」さえあれば、人間、自然体で毎日を過ごすことができるものだと思う。水沢君は、希望があったから毎日会社に来たのだ。それががんを克服するという強い信念になって彼を支えていたのだろう。享年63歳の早世であった。
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