全ては新入社員から始まった
その日。富士通の新入社員、坂口功治の姿は、東京都目黒区青葉台のエジプト大使館にあった。大使館ではちょうどチャリティーバザールが行われていた。
チュニジアに端を発したジャスミン革命が勃発するおよそ2カ月前、2010年10月末のことだった。
坂口には思いがあった。富士通に入社したからには、なんとしても海外ビジネスをやりたい、と。しかし、新入社員でビジネスの右も左も分からぬ“小僧”にそうした機会は中々やってはこなかった。
坂口が選んだのは坂口が言う所の“草の根運動”だった。
ボストン大学大学院を卒業していた坂口は、そのコネを利用しては、海外の知人たちに富士通の売り込みの電話をかけまくっていた。エジプト大使館にわざわざ出かけていったのもその為だった。大使館で出会う人に名刺を配りまくった。何十枚と名刺が入った名刺入れから、どんどん名刺が無くなっていった。
坂口はバザールにやって来ていた中東諸国の大使館員らに富士通の海外ビジネスや富士通が持っているICT(情報通信技術)の高さなどを説いて回った。
坂口がICTは社会のインフラであり、ICTのインフラ無くして社会も都市もなりたたないと話していた中、インフラという言葉に特別に反応した大使がいた。中東の大国、サウジアラビア大使、アブドゥルアジーズ・トルキスターニだった。
「どのようなインフラを提供できるのか」
トルキスターニの眼差しが真剣になるのを坂口は感じていた。
日本の文部省がサウジアラビアで募集した留学生1号生として早稲田大学で学んだトルキスターニはサウジアラビアきっての日本通であり、8人いる子供の1人には日本の名前をつけるほどの親日家でもある。
坂口の説明に耳を傾けていたトルキスターニは、満足げに頷くというのだった。
「電話をするから」
しかし、その感じは社交辞令の域を出るものではなく電話など期待もしていなかった。