ソニーでウォークマンが生まれたのは、井深大さんや盛田昭夫さんという創業オーナーがいて、自由にモノを作ることができる土壌が社内にあったからだ。しかし、1979年に3.3万円で売り出した当初、月間の売上は3000台。家電量販店、メディア、社内での評判も悪かった。
そんななか、丸井のバイヤーが1万台のウォークマンを注文した。これ以降、大規模なCMを打つことはなかったものの、若者の間で「音楽をどこでも楽しむ」というスタイルが受け入れられ、大ヒットにつながった。きっかけを作った丸井のバイヤーは、実は20代。丸井が伝統的に若い人に権限委譲して仕事をさせるという風土を持っていたことに支えられた。
なぜ、昔の企業は勇気を持って新しい考え方にチャレンジすることを許したのか? 私が金融マンの教育を受けた日本長期信用銀行では、拡大するグローバルなYenの需要に、小さめの融資案件は、上司が忙しく、1年目でも海運企業の財務担当役員に提案したり、荷主の工場実査からデータ分析をしたり、全ての仕事を任された。
融資先の部長課長クラスも、20歳も下の私に対等に接してくれ、大変なOJTを受けることができた。おおらかな時代であったからこそである。事業企画は机上の演習では難しく、やはりコートの上に立ってその緊張の上にラケットを振ってみないと鍛錬されないはず。
ソニーにいたときも、無数の机上演習だけではなく複数のプロジェクトを実施できた。同じ電機産業であるシャープに2年前に戻った際、2000年代後半からなぜイノベーションが減っているのかわかった気がした。若手に事業企画をさせていないからだ。
若手への権限委譲が良い結果を生むというのは、意外な組織でも起きている。霞が関だ。戦後、高度経済成長の指導役となった通商産業省(当時)だが、動かしていたのは若手官僚だった。上の世代が戦死などしていなくなったため、図らずも若手が抜擢されることになった。
私が経済産業省にはじめての中途採用で入省した際、与えられたのは企画官という課長級のポスト。それぞれの課長が所管の仕事でしがらみがあることと比べて、時の重要課題を自ら設定、自由に取り組むことができた。この時間を使って、のちのクラウド、ビッグデータにつながる「情報大航海プロジェクト」を立案した。