更に彼らは、「微博(Weibo:ミニ・ブログ)」で、デモが起こる前に議論を終えていたとも言う。彼らの間では既に決着した問題だった(日本に融和的な結論が出た訳ではない)訳で、デモに参加する情熱は既になかったのだ。一部はデモにも参加したが、デモ後の「微博」には「暴力行為は誤りだ」という意見も多く見られた。
では、暴動の主役だった、失うものがない者たちとは何者だったのか? 簡単に言ってしまえば、現在の中国社会において勝ち組になれないと認識している者たちだ。都市部内で競争に負けた者たちもいるが、やはり代表格は農村部から都市部に出て来た者たちだろう。この中には、一時期、日本でも話題になった民工(農民でありながら都会へ出て建築等に携わる労働者)も含まれる。民工は、都市に出稼ぎに出て、家族まで呼び寄せることも多い。主として都市部周辺に住み着き、子供たちの教育も含め、2000年代半ばから、大きな社会問題になっている。
中国国家統計局のデータによれば、都市部に居住する住民の3割以上が都市戸籍を持たない。彼らは、都市の眩い発展を目の当たりにする。都市部の住民(本当は全員ではないのだが)が、綺麗な服を着て買い物や食事をするのを横目で見ながら、農村戸籍しか持たない彼らは、社会保障さえ受けることが出来ない。同じ空間にいながら、彼らは永遠に都市部の繁栄を享受できないという絶望感の中で生きている。しかし、彼らでも勝者になれる瞬間がある。反日行動である。「反日」というテーマにおいては、全ての中国人が日本に対する勝者になれるのだ。
止まらない都市部への人口流入
しかし、暴力的な反日デモを憂いたのは日本ばかりではない。更に深刻なのは中国政府だ。反日デモであっても、それは現政権への不満のベクトルを含んでいる。「現政権の対応が十分だ」と認識されれば、そもそもデモは起こらない。反日デモで示された暴力の中に、社会的不満が充満していることも中国政府はよく理解している。社会の現政権への不満は、中国の指導者たちが最も恐れるものだ。このような暴動を、中国政府がコントロールしたいと考えるのは自然なことだろう。
中国政府は、当時、バスでデモ参加者を移動させるなどして、デモを地域的・時間的に限定しようとしたが、それらは対処療法的な処置に過ぎない。中国政府が問題視するのは、都市部へ流入した農村戸籍を持つ者たちだが、都市戸籍と農村戸籍に戸籍を区別すること自体に、もはや意味がなくなっている。戸籍を区別して人の自由な往来を制限するのには、情報を遮断するという重要な意義があった。中国の歴史を振り返ると、常に周辺から起こった暴動が拡大して中央を包囲し、王朝を倒してきた。中国共産党でさえ、都市部で起こるとされた共産主義革命を起こした訳ではなく、周辺の農民を組織して勢力を拡大した。中国共産党は、暴動が拡大することの恐ろしさをよく理解している。だからこそ、情報を遮断する必要があったのだ。