2024年7月14日(日)

ヒットメーカーの舞台裏

2013年8月8日

 同時に、アジアを中心にホンダの海外工場に納入するサプライヤーからも部品を調達、海外部品比率を4割程度にすることで目標に到達させた。

 速射砲のように繰り出される青木の話は愉快で、相手を飽きさせない。印象的だったのは、「みんなが反対するのは、既成概念をはみ出しているから。むしろそこにヒットの可能性がある。だから私はみんなが反対することをやりたい」。さらに「最大の敵は、前例のないことを否定する社内の壁」とも言い切る。ホンダには貴重な、尖った理念をもつエンジニアでもある。(敬称略)

(写真:井上智幸)

■メイキング オブ ヒットメーカー 青木柾憲(あおき・まさのり)さん
本田技術研究所 上席研究員

1954年生まれ
長野県長野市生まれ。幼稚園の時分に音楽に目覚め、中学2年までピアノ教室に足しげく通った音楽少年であった。県立長野高校へ進学し、軽音楽部でキーボードを担当した。高校1年時に二輪免許を取得。
1974年(19歳)
電気通信大学工学部機械工学科へ進学し、吉祥寺で一人暮らしを始める。いわゆる貧乏学生で、バイクとは無縁の生活を過ごした。趣味の音楽では、作曲活動なども行い、ラジオに投稿した自作の曲が放送されることもあった。就職活動では音楽活動をウリにした。
1978年(23歳)
ホンダに入社。「クルマよりバイクのほうが技術者の裁量が大きく、全部作れそう」とバイク部門を希望。念願叶って、2年目に埼玉県朝霞市にある現在の二輪R&Dセンターに配属となった。93~96年の米国カリフォルニア州駐在を除けば、一貫して朝霞で働いた。
2003年(48歳)
03年から開発責任者を離れ、コスト企画や小型バイクなどの管理業務を担当した時期もあった。だが、「マネジメント業務は性に合わない。開発責任者への復帰を熱烈に希望した」甲斐もあり、06年に天職である開発責任者へ戻った。自宅にはグランドピアノが2台ある。「音楽もバイクも良いモノを作りたいという私の欲求を満たしてくれるという点で同じ」という。

[特集] ヒットメーカーたちの物語

◆WEDGE2013年8月号より

 

 

 

 

 

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