空母構想と引き替えのイージス護衛艦導入
一方、70年代後半以降、日本政府がシーレーン防衛を重視するようになる中、対艦ミサイルを装備した旧ソ連の原子力潜水艦に対処するため、海上自衛隊は8艦8機体制への移行を決定した。加えて、100機のP-3C対潜哨戒機を導入し、このうち80機を広域哨戒に、20機を艦隊の直接支援に充てた。この総合的な対潜体制が、現在も海上自衛隊の部隊編成の根拠となっている。
同時に、旧ソ連の爆撃機から発射される空対艦ミサイルが艦隊に与える脅威が増大したため、洋上における艦隊の防空(洋上防空)の検討が行われた。その中で、空母の導入とイージス護衛艦の導入の2つのオプションが検討された。
イージス護衛艦を導入すれば、対艦ミサイルを迎撃できる可能性は飛躍的に高まる。たが、爆撃機が残存している限り艦隊への攻撃は続くことが予想される。このため、爆撃機そのものを迎撃するために短距離離陸・垂直着陸(STOVL)要撃戦闘機を運用できる空母が必要だという意見が海上自衛隊内で強まった。しかし、1988年に主要メディアによって海上自衛隊が空母の導入を検討していることが報じられると、これが政治問題となり、結局イージス護衛艦の導入のみが決定された。
イージス護衛艦の導入は、空母構想と引き替えではあったが、日米同盟の強化という意味では重要だった。海上自衛隊のハンターキラーは事実上、アメリカ第七艦隊の対潜部隊の位置づけであり、特に空母打撃群の護衛という重要な任務を帯びている。海上自衛隊が米空母を守れば、米空母が敵部隊への打撃力を維持できるからだ。
このような強力な同盟関係を築く日米に対抗して、旧ソ連も膨大な軍事費を使って軍拡を推し進めたが、それが体制崩壊の原因の1つとなった。海上自衛隊の対潜作戦構想、そのための部隊編成、そして日米同盟関係の強化が、冷戦の終結に貢献したことはあまり知られていない。岡崎久彦氏は、これを「知られざるサクセスストーリー」と呼んでいる。
海上自衛隊の空母構想は冷戦中に日の目を見ることはなかった。しかし、冷戦後に多様な任務が海上自衛隊に求められるようになり、ヘリによる揚陸作戦が検討される中で、安全性や効率性から全通甲板を持つ輸送艦「おおすみ」が1993年度に予算計上された。海上自衛隊創設から40年近くたって、ようやく全通甲板が採用されたのである。
そして、2001年の中期防衛力整備計画策定に当たって、次世代DDHが検討され、3機の対潜ヘリと1機の掃海・輸送ヘリを同時に運用できる全通甲板を持ち、飛行甲板の下に巨大な格納庫を持つ空母型のデザインが採用されることになった。こうして、「ひゅうが」の建造が2004年度に予算計上された。