苦手な話の中にも関心を持てる点はある
私の例で言えば、以前はゴルフに対してアレルギーがありました。
バブル期に日本中で山が切り拓かれて次々とゴルフ場が作られ、森林で覆われていた山がまだらにはげてしまいました。その後使われなくなっても、一度切り拓いた山は元には戻りません。自然破壊もはなはだしい。そんなゴルフ場は、おじさんたちが日曜日に家族を置き去りにして、接待してきた場所、といった非常に悪いイメージしか持っていませんでした。
ところが、ある男性から「接待ゴルフだとしても、ゴルフという競技自体が面白いんです」という話を聴いて、はっとしました。
その人曰く、「まず、インチキができません」と。芝にボールがあり、自分がいて、風が吹くタイミングもある。うまくいくもいかないも自分次第で、真剣勝負をする限りにおいては、ゴルフは自分との勝負。「そういうところが面白くて、もはや接待する必要もないのだけれど、今でも続けています」と話してくださいました。
その話を聴いて、ゴルフの社会的背景は気にくわないけれども、競技として面白いものであるということはよくわかりました。要するに、私が苦手だったのはゴルフという競技そのものではなかったのに、先入観からゴルフの話をされると「跳ね返して」いました。それは私の思考回路がそうなっていたからです。
しかし、興味がない話でも耳を傾けてみると、他人の思考回路を少なくともシミュレーションレベルで一回は体感できます。それは、自分の思考回路とは違う回路を使えるということです。
私が自分からゴルフに行くことはないかもしれませんが、誘われて参加できる機会があれば、「挑戦してみてもいいかも」という程度には興味を持つことができました。
思考回路が変われば、ものごとの面白がり方の引き出しが増えます。苦手な話や興味のない話を振られたときは、「自分は興味がないけど、興味がある人はどんな点を魅力に感じるのだろう?」「自分が好きでないことを好きな人は、どんなふうにそれを楽しんでいるのだろう?」と、相手の思考回路をシミュレーションするつもりで聴くと思考のレパートリーが増えます。
冷静にコミュニケーションを取ろうとしても、のっけからケンカ腰だったり、アグレッシブでかみついたりすることが多い人は、自分の苦手や嫌いなものを最初から切り捨てていることになります。それが習慣になると、思考のレパートリーが増えないだけでなく、結局、語彙も増えません。語彙が豊かな人は、話の内容に関する食わず嫌いをしないことが大きく貢献しているのかもしれません。
会話中に「今跳ね返したかもしれない」と気づけたら、脳を活用する習慣を身につけるチャンスです。