ブルキナファソ見聞録

2014年3月19日

»著者プロフィール
著者
閉じる

岡田綾 (おかだ・あや)

JICA職員

1982年兵庫県西宮市生まれ。小学校6年生のときに阪神・淡路大震災を経験。2005年京都大学文学部社会学科、2007年同大学大学院地球環境学舎環境マネジメント専攻修士課程修了。環境やコミュニティ防災について学ぶ。就職活動では、「その人自身のせいではないが、理不尽な境遇におかれてしまった人のために仕事をしたい」と考え、他の関心事項であった「途上国・国際協力」も満たす組織として、独立行政法人国際協力機構(JICA)を志望し、2007年入構。地球環境部、広報室などを経て、アフリカ勤務を希望し、2012年12月よりブルキナファソ事務所に赴任。

 ブルキナファソに野球がもたらされるきっかけとなったのは、1993年、電信会社に勤める1人のブルキナファソ人が出張で訪れたマリで野球を見かけたこと。「ブルキナファソでも野球をしたい!」と強く思い、帰国後、野球チームを結成したことに始まる。地道な活動が実を結び2004年にはブルキナファソ野球・ソフトボール連盟が発足。野球の指導者も十分でなかった当時、偶然知り合った青年海外協力隊員を通じて、野球指導を行う隊員派遣があることを知り、2008年に初代野球隊員の派遣が実現した。それから6年。現在は3代目の野球隊員が活動を行い、野球の普及と少年少女たちの育成に取り組んでいる。

 初代の出合祐太隊員は、帰国後も日本からブルキナファソ野球を支援し続け、「ブルキナファソ野球を応援する会」を設立。昨年、今年とラシィナくんが渡日を果たしたのは、彼や同会メンバーの熱意によるものだ。ラシィナくんが出合隊員の地元である北海道にしばらく滞在した間には、北海道日本ハムファイターズの選手とも交流を深め野球道具の寄贈などもいただいた。

 2代目の安河内聖隊員は通常2年の隊員任期を終えた後、短期隊員として再びブルキナファソに戻り、昨年ワガドゥグで開催されたワガドゥグ市中・高校野球大会の運営と選手指導に携わった。さらに現在は、ラシィナくんの昨年の渡日をきっかけに高知ファイティングドッグスの球団職員として就職までしてしまった。3代目の杉山弘樹隊員は、現在ブルキナファソで野球を指導する唯一の隊員(今後、短期隊員は派遣される予定がある)。ラシィナくんはもちろん、彼の所属するチームの育成だけでなく、チームメンバーとともに放課後の学校を周り、野球の普及に努めている。注目を集め始めたブルキナファソ野球を現場で支えるキーパーソンである。

渡日前の壮行会でのラシィナくん(左)と杉山隊員

放課後の野球教室を楽しむ子供たち

 そんな日本の若者の情熱とブルキナファソの少年少女の意欲が相まって、ラシィナくんの渡日が実現した。野球環境の整っていないブルキナファソでは、裸足やサンダルで野球の練習をする子供も多い。それでも、定期的に練習に来ることができる子供はまだ恵まれている方だ。

編集部おすすめの関連記事

関連記事

新着記事

»もっと見る