放課後の野球教室では、初めて見る野球に吸い寄せられた子供たちも参加できる。着の身着のままで、とりあえずボールに触れる。ある時、ラシィナくんと杉山隊員の野球教室を覗きに行ったら、初めての子供が複数いた。キャッチボールでなかなかうまくボールを掴めない男の子にラシィナくんがマンツーマンで教える。教え方、難しいだろうなあ、と遠くから見ていたら、しばらくグローブを付けて取り方を教えていた後、グローブを外して素手で取るところから、続いてボールを左右に投げ分けて体を動かして正面で取る練習、ボールを触るという感覚に慣れてきたらまたグローブを付けて、と段階的に教え、ものの15分もすれば、男の子はコツを掴んだのかボールを取る姿が様になっていた。
その男の子の嬉しそうなこと。ああ、この子は今日帰ったら、初めてやったこのスポーツのことを家族に話すだろうな、とそんな確信を生む光景だった。
ラシィナくんはどちらかと言うとシャイでいつも割と淡々としているので、よっしゃよっしゃと男の子と喜び合う感じではないのだけれど、嬉しさを滲ませる男の子を見てホッとしたように他の子供の指導に移った。
アフリカと日本の地方が繋がる
ラシィナくんの、誰に対しても真摯で謙虚な姿勢は、関わる人に「ラシィナくんを応援したい!」と思わせる空気がある。実際、昨年プレーした高知県では、高知ファイティングドッグスが地元に根差した球団だからという状況も加わって、高知県の皆さんがラシィナくんの姿を見て心から応援してくださった。地方の独立リーグの球団運営は容易ではなく、地元の人々の応援が球団や選手を支えていると聞く。
苦労しながら野球を続ける状況が、ブルキナファソで野球に打ち込む少年少女たちの状況と重なり、また高知県で長年暮らしてきた年配の方にとっては、戦後何もないところで踏ん張りながら生活をしてきた経験が、今のブルキナファソで頑張る人々と通じるところがあると共感が寄せられている。今年のラシィナくんの渡日も、楽しみに待ってくれていたようだ。
彼自身の人となりがブルキナファソや日本の人々の心を動かしているのは間違いないが、帰国後もブルキナファソの野球に携わり続ける協力隊員、外国人選手の受入に前向きな地方球団の存在、人々の地元への愛情、日本の地方とアフリカに見いだせる共通の境遇など、多くの要素が包含されて今の状況になっているのがブルキナファソ野球である。単にアフリカの少年が日本に渡りました、というだけでなく、アフリカと日本の地方が繋がって互いにいかに活性化されていくのか、というテーマに対しても今後示唆を与えてくれると思う。