精神腫瘍学——「裏切られた感覚」を超えて
精神腫瘍学(psycho-oncology)は、がんと診断された患者が経験する心理的な苦痛や、その内的世界への介入を専門とする学問領域である。多くの患者が、「なぜ自分が」「自分の体が自分を裏切った」という強烈な感情に苛まれる。それは、健康な状態を当然として生きてきた私たちにとって、自身の細胞が予期せぬ変異を起こし、生命を脅かす存在へと変貌することへの根源的な不信感と言えるだろう。
この「裏切られた感覚」は、深い自己否定感を生み出し、治療への意欲を奪いかねない。精神腫瘍学では、このような心身の乖離による苦悩を「体の二重性の苦悩」と呼び、心と体を一つのものとして捉える「心身一如」の視点から、その癒やしを試みる。
ここで、仏教的な「縁起」や「無我」の思想が示唆を与える。「自分」という存在は、固定されたものではなく、常に周囲との関係性の中で変化し続ける仮の存在である、という捉え方は、がん細胞を絶対的な「悪」として断罪するのではなく、「時の流れの中で、相互作用によって変化した自己の一部」として受け止めるための哲学的な基盤となり得る。
ホスピス医療——共に生きるという選択
終末期医療の現場であるホスピスでは、もはやがんを「征服」するという目標は現実的ではない。そこで重視されるのは、如何に人生を終えるのかという、より根源的な問いである。多くのホスピスでは、「がんと戦う」という戦闘的な姿勢ではなく、「がんと共に生きる」「がんに意味を見出す」という、受容と調和の精神が、患者の精神的な安寧に深く結びついている。
小坂師は、ダイバダッタに関する驚くべき伝承を語ってくれた。「釈尊もまた、自らの寿命を悟っていたと言われています。その最期に、ダイバダッタの名をどう記されたと思いますか? “仏法の広まりに寄与した者の一人”とされているんですよ」。
裏切り者として語られるダイバダッタが、実は仏教の広がりという大きな流れの中で、必要な役割を果たした存在として評価されている——その言葉は、私にとって衝撃的な啓示だった。ならば、私の中に現れたがんもまた、私自身の人生 を深く見つめ直し、新たな価値観を見出すための、かけがえのない師なのかもしれない。