共生という視座——闘病が紡ぐ新たな物語
私のがんは進行しており、現代医学の力をもってしても、完治は困難であると告げられている。しかし、私は決して「敗北」したとは思っていない。むしろ、この病を得たことで、これまで見過ごしてきた人生の豊かさに、改めて気づかされた。
治療という過程を通して、私は自分の生き方を深く見つめ直した。何気ない日々の食事の滋味、孫たちの無邪気な笑顔、そよぐ風の心地よさ——それら一つひとつが、まるで初めて出会うかのように、鮮烈な感動をもって私の心に迫ってくる。そして何より、長らく「敵」と認識していた自分の中の存在と、少しずつではあるが、対話ができるようになった。
もちろん、がん細胞は無条件に赦されるべき存在ではない。時に、私たちの 命を容赦なく奪い去る力だ。だが、その冷酷な事実と同時に、がんは「共に生きることの意味」「命の有限性」「他者とのつながりの大切さ」といった、根源的な問いを私たちに突きつけてくる存在でもある。
今、私にとってがんは、忌むべき「敵」ではなく、私の内なる「影」であり、深い人生を教えてくれる「試練の師」であり、そして、残された時間を共に歩む「旅の道連れ」のような存在へと、その意味合いを変えつつある。
医療者へのメッセージ——「仏性」へのまなざし
がん患者の中には、自らの体を憎み、なぜこんなことになったのかという自責の念に苦しむ人が少なくない。自身の細胞が裏切ったと感じ、深い孤独の中で時間 を過ごしている。だからこそ、医療に携わる人々には、科学的な知識や技術だけでなく、患者一人ひとりの内面に宿る「仏性」——生きとし生けるものが持つ尊厳や可能性——を見るまなざしを持ってほしいと切に願う。
がん細胞の中にすら、“過ちから生まれた何かの訴え”があるとすれば、それを「悪」と断定的に決めつけるのではなく、患者の言葉にならない苦しみや願いに耳を傾け、共に「在る」ことの意味を探ってほしい。その姿勢こそが、患者の人生観をも変える力を持つのではないだろうか。
現代医療の技術は日進月歩であり、それは多くの患者にとって希望の光である。しかし、その進歩と並行して、患者の心に寄り添い、その物語に耳を傾ける「語り」と、苦しみを共有する「共感」という、人間的な触れ合いこそが、医療の本質として最後 に残るべき核なのではないだろうか。私自身の経験を通して、そう強く感じるのである。