西山は小さい頃から外で遊んだり、身体を動かすことが大好きな活発な子だった。2人の兄を真似するのが好きで、習い事なども同じことをやりたがった。ただ、身体に重い持病を抱えていたため、小学校へ入学するにあたり「あなたは他の子とは違うんだよ」と聞かされ、運動会でも競争するのは「ダメ」と言われ運動に関しては制限が多かった。
「他の人と同じことがやりたくても我慢しなければならないのは、小さい頃のほうが辛かったですね。小学生の頃はやりたい、やりたいという気持ちが強くて、それを抑えて、いつも自分の身体と相談しながら小学6年生までバスケットボールを続けました」
小学生に自身の限界がどこにあるのかわかるはずもない。それでも、西山は身体のことを考えながら運動を続けた。もっと出来る。もっとやりたい。そんな気持ちを押し殺して仲間の半分程度で練習を終えることもあった。周りからは「楽をしているだけなんじゃないか」と思われているような気がすることもあって悔しかった。
好きなことに没頭してしまいがちな小学生のころから、自分の気持ちを抑えなければいけないという強い葛藤を繰り返した。生来活発で、スポーツが大好きな西山にとっては筆舌に尽くしがたい思いがあったに違いない。
しかし、それは我慢を強いられただけではなく、同時に大きな財産をくれていたと考えられはしないだろうか。幼い頃から辛抱を重ね、自己をコントロールするというアスリートとしての根幹を作り上げたと。もちろんそれは後年振り返って言えることであって、小学生の頃の西山にわかるはずもなかった。
父親の勧めで始めたソフトボール
中学でもバスケットボールを続けたいという思いはあったものの、進学後は諦めざるを得なかった。
「バスケが大好きで本当は中学でも続けたかったのですが小学生のときとはレベルが違います。身体も大きくなり運動量も増えるので、厳しいんじゃないかと。それで、攻守交代のあるソフトボールを父から勧められて中学校のソフトボール部に入りました」