パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2014年8月29日

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 「心臓の弁の一部を移植したのですが、アメリカ人の女の子の弁でした。14歳で同じ年齢の子だったとお聞きしましたが、詳しいことは聞かされていません。手術をすることが決まったのが12月で実際に行ったのが1月ですから、手術するタイミングでドナーが現れたのです」

 手術は8時間にも及んだ。

 1カ月間の入院を経て、その後自宅療養に約2週間。西山は順調に回復し復学した。もともと自覚症状がなかったため手術後に身体が楽になったという感覚はなかったが、短期間で学校生活に戻れたことは幸いだった。

 手術後、運動ができずにストレスが溜まっていた時のこと、見かねた父親に誘われ春の全国高校ソフトボール選抜大会を観に行った。西山はそこで高校生のレベルに驚くと同時に、同じ神奈川県内にある県立厚木商業高校のことを知った。

 それまでは「やるなら日本一になりたい」と思ってはいても、進学については漠然と地元の高校を考えていた。しかし、ソフトボール界では強豪校として知らぬ者のない存在を知り、その強さに魅せられてしまった。

日立ソフトボール部との交流の思い出

 話が前後するが中学時代の大事なエピソードをひとつ加えておきたい。

 毎年神奈川県内の中学生向けにソフトボールの技術講習会が行われ、各学校から2~3名の選手が選ばれてトップレベルの監督や選手から直接指導を受ける機会がある。その講師に日立ソフトボール部の磯野稔監督と日本代表の斎藤春香選手がいた。

 その出会いが西山の人生に大きく影響を及ぼした。

 「手術の少し前だったため何かあってはいけないということで、参加者の中に入って教えてもらうことができませんでした。そのとき磯野監督に『心臓の手術を控えていているので参加できません』と言ったら、オリンピック選手だった斎藤さんと話をさせてもらったり、サインをいただいたりしました。その時に、磯野監督や斎藤さんから「将来はうちに来ていっしょにやろう」と声を掛けてもらいました。私は子どもだったので、その言葉を本気にして、『やるなら日立しかない』と思って、中学2年のあの日から日立でやることが夢になりました」

 その後「やるなら日立」という夢は、オリンピック出場というさらに大きな夢にまで膨らんでいった。

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