2024年4月17日(水)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2014年8月29日

 日立ソフトボール部でプレーする夢を叶えた西山は、アスリートの階段を一気に駆け上がり、2004~2005年は2年連続、日本リーグのベストナイン賞(遊撃手)を受賞し、2006年には日本代表としてアジア大会で金メダルを獲得。さらに同年行われた世界選手権では、アメリカ代表と世界の頂点を懸けて闘い、惜しくも準優勝。敗れはしたものの西山は彼我の違いを知る。

 「アジア大会では初めての経験が多く、いろいろなことにわくわくしましたし、若かったので怖さやプレッシャーを感じずに勢いだけで闘っていたように思います」

 「初めてアメリカ代表を見た時に意地とかプライドとか、ハングリー精神のようなものを強く感じました。負けたくないという気持ちを全身で表すのですが、日本人選手は内に秘めると言いますか、あまり気持ちを表に出しません。そこが大きな違いだと感じました」

 「あとはパワーですね。投げるスピードも飛ぶ距離も日本人と全然違います。それじゃ自分たちの強みは何かと言うと日本人らしい繊細さです。プレーにしても、意識にしても細かいことに強いのが日本人選手です。日本は技術的には負けていないと思いました。それが世界選手権で闘ってみて感じたことです」

 そして2年後の2008年北京オリンピックへと続く。

夢が叶った瞬間

 ここで本稿冒頭の北京オリンピックの決勝戦に戻る。

 決勝戦の相手アメリカは過去オリンピック3大会を制し、2006年の世界選手権でも頂点に立っている絶対王者的存在である。

 日本代表は出場8チーム総当たりで行われる予選リーグではアメリカに0-7の大敗を喫している。他のチームに勝利した日本は2位通過で準決勝へ進み、そこで再びアメリカと対戦。延長戦までもつれ込んだが1-4で敗れた。その後、ページシステム(ソフトボールの変則的なトーナメント方式)により3位決定戦に回った日本はオーストラリアと対戦し、延長12回、西山のセンター前への一打で死闘を制した(4-3)。


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