強豪校に進学、下宿して練習に打ち込む
「家から厚木商業に通うのには片道2時間半位掛かります。それを両親も心配していたのですが、厚木商業の利根川勇先生が『遠いのはわかっている。それでもうちに来ていっしょにやろう。下宿先を用意するから』と声を掛けて下さったので、家を離れ、当時の3年生のお家に下宿させてもらって学校に通うことになりました。元々下宿をされていたわけではないのですが、快く受け入れていただきました」
手術を終えたとはいえ身体は万全ではない。周囲にはその身体で厳しい練習に耐えられるのか、という心配する声もあったが、西山自身は小学生の頃から、自分で工夫し、管理しながら身体を守ってきたという自負があったので、この先も必ず出来ると思っていた。父親は「最後まで頑張ってこい」と送り出してくれたと言うが、どれほど心配で苦しい決断だっただろうか。母親は厚木商業どころか運動を続けること自体に反対していた。ただ、母のその心配を西山が直接聞いたことはなかったそうだ。娘の楽しみを奪いたくないという思いと、身体を気遣う葛藤の深さは察するに余りある。
厚木商業の練習は自主参加の朝練習に始まり、放課後の練習は午後9時まで毎日行われた。1年間で練習のない日は1~2日程度という過酷さである。
「練習量はどこのチームよりも多いと思っていましたので、どんな相手にも負ける気がしませんでした。練習量の多さは、そのまま自分たちの自信に繋がっていたと思います」と振り返る。
もちろん高校時代も周囲の理解があって、走り込みのような激しい練習だけは本数を減らすなどセーブしながら行った。
そんな環境の中で西山は1年生ながら夏のインターハイ予選からレギュラーとして出場し、そのインターハイでは準優勝、その後2~3年生の春の選抜大会と夏のインターハイは優勝という、まさに常勝チームのレギュラーメンバーとして大活躍した。
アメリカに惜敗、でも「日本は技術で負けていない」
「社会人になっても日本一になりたい」
2002年西山は中学時代からの夢だった(株)日立製作所に入社し、日立ソフトウェア女子ソフトボール部に入団した。
日立ソフトボール部の1日のスケジュールは、概ね午前中はそれぞれの職場へ出勤し、お昼に寮に戻って、昼食後にチームバスでグラウンドに移動し13時半から練習開始。冬場はボールが見えなくなる17時以降はランニングを主体にしたトレーニングを行い、日の長い夏場の練習は18時半くらいまで行われる。
「どんなに長くても、もう夜の9時までやることはありません(笑)。社会人になって嬉しかったことは、好きなソフトボールをやりながらお給料がいただけることでした。高校時代と同じようにソフトボールをやりながらも、社会人では意味合いの違うことを学ばせていただきました」