「正直に言ってしまいますと自分からやりたいと思って始めた競技ではなかったので、つまらないとまでは思わなかったのですが、凄く楽しいとも思えず(笑)、身体を動かせることが嬉しいというくらいの感覚でした。自分からやりたいと思って始めたバスケットボールの方が楽しかったですし、性格的には合っていると思っていました」
とは言いながら二人の兄とキャッチボールをしたり、バッティングセンターにいっしょに行ったりしていたため、小学生の頃からバットやグローブには馴染みがあった。初めてバッターボックスに立った時も恐怖心のようなものはなく、すんなりとソフトボールの世界に入っていけた。
中学2年生で受けた大手術
中学校のソフトボール部は、他の部から人を借りて試合に出ていたほど部員が少なく、それでも横須賀市では優勝し、県大会ではベスト8まで進むようなチームだった。
やはり中学でも、他の部員がノック100本のところ西山だけは半分の50本だったり、試合中、全力疾走で走り切ればランニングホームランになるところを2塁で止まらなければならないなど、常に自分を抑えながらプレーすることに変わりはなかった。「出来るのにやれないのは辛いし、悔しい。でも、身体のことだから仕方がない……」。こうした葛藤を日々繰り返していた。
ただ練習メニューが少なめに配慮されていることや、身体に無理を掛けないようセーブしていることなどをチーム全員が理解してくれていたことが救いだった。
「もしも心臓が苦しいような症状がでたときは、その時はおしまいだよ……」と主治医に告げられた。
西山は「おしまい」を「死」と理解した。中学生にはあまりにも重い言葉だが、西山はそれを受け入れなかった。
「本来スポーツができる身体ではありません。運動していて、もしも苦しくなったりしたら死んでしまう。小さい頃からそう言われていましたのでよくわかっています。よくわかってはいるんですけど、私はどうしてもスポーツがしたいんです」と医師に伝え、西山がお願いするような形でソフトボールを続けた。
そして中学2年生の時に人生最大の出来事とも言える心臓弁の移植手術を受ける。
「定期健診を受けていたので、大きくなったら手術を受けなければならなのは知っていたんです。でもそれがいつのタイミングなのかは聞かされていませんでした。中学生になればほぼ大人の身体の大きさになりますし、心臓の大きさも大人と同じになってきますので、今がそのタイミングなんじゃないかと主治医の先生に勧められ、中学2年生の1月に受けました」