インドの節分であわや大火事!?
ホリデーシーズン初日は、娘が通うプレスクールで、ディシャラ(Dussehra)という神様が悪魔をやっつけたことをお祝いするヒンドゥー教の祭りがあります。事前にスクール側から日本人で赤ちゃんがいる友達を連れ来て欲しいとの依頼があり、妻は数人の知人に声をかけていました。現在、通っているプレスクールはインド人向けですが、徐々に日本人生徒も増えているようで(全体の10%以下だと思いますが)、スクール側も日本人駐在員マーケットを意識し始めたのだろうと私は勘ぐってしまいました。
というのも、インド人の持つ日本人のイメージに、日本人は金払いが良いというのがあります。インド人の金払いはその真逆で、ビジネスをやっていると分かるのですが、インドでの資金回収は大変です。交渉慣れしたインド人は何かと理由をつけて支払いを遅らそうとしてきます。金利が10%を超えるインド。支払いは少しでも遅くするのが資金繰りの鉄則となっており、支払遅延は購買担当者のスキルの一つという説を聞いたことがあります。
そんな商売っ気の話はともかく、妻がインド滞在2カ月で、色々な人を誘えるくらいにママ友コミュニティーに溶け込んでいることに、驚きとともに、少し安心もしました。
お祭りが始まると、なんと最初に日本語で今日のイベントの主旨の説明がありました。「ディシャラは節分のような行事です。神様が悪魔をやっつけて、最後に悪魔の人形を焼き払うストーリーを先生が上演するので楽しんで下さい」とのことでした。日本に暮らしていたインド人の先生によるアナウンスでした。
超多民族国家であるインドの言葉や文化に対する寛容度、理解度には常々、感心させられます。インドの紙幣にはインド内の17言語が表記されていますし、勤務先の製品紹介ビデオは10言語で作られていました。バックグラウンドが違うことがあたり前のインドでは、多くの人が理解しあうための努力も当たり前になっているように思います。努力というと聞こえはいいですが、仕事でインド人と会議をすると、お互い理解できるまで、とにかく主張し合います。これをまとめるのは非常に苦労しますが、コンセンサスを得るためにまずは説明する、主張するという姿勢は圧巻です。
とあるジョークで、「国際会議における優れた司会者とは、インド人を黙らせて、日本人を喋らせることだ」というものがあるほどです。周りと同じようにすべきと、バックグラウンドが同じことを前提として説明せずともに物事が進むという日本人の考え方とは大きな違いがあります。