しかし、本書の主眼は、希望を捨てないフォックスの政治的な闘いにある。キリスト教右派などの支持を背景にブッシュ政権は、難病の治療への応用が期待される胚(はい)性幹細胞(ES細胞)研究を抑圧する政策をとった。フォックスはブッシュ政権下の2006年の中間選挙で、ES細胞の研究を支援する民主党の上院議員候補たちの応援に奔走する。そして、そうした候補者のために、アメリカでは一般的な、選挙キャンペーン用のテレビCMに出演し、思わぬ批判の的になってしまう。テレビCMの中で、体を故意にくねらせるなどパーキンソン病の症状をフォックスが大げさに演じていると、中傷を浴びたのだ。予期せぬ事態に、とまどった心情をフォックスは次のように書く。
This was new for me, and I suddenly realized how much I had always liked being liked. It is spooky to see that a contingent of society, vocal and connected to power, has worked up an antipathy toward you and is rallying this base to marginalize you and the threat you represent. (p135)
「全く新しい体験だった。そして、これまで自分が人々に好かれることをいつもどんなに望んでいたかを突然さとった。社会が一団となり声高に高圧的に嫌悪感をぶつけてきて、個人や、その個人が体現する脅威を、社会的に葬り去ろうとして迫ってくるのをみるのは気味が悪い」
オバマに期待を賭ける
フォックスは的外れな批判に反論すると論点がずれてしまうのを恐れ、あえて反論はせずに、あくまでもES細胞の重要性を訴え続ける。フォックスの孤独な闘いの記録が続く。それだけに逆に、アメリカの保守派がES細胞の研究にどれだけ猛烈に反発していたのかも理解できる。その後、オバマ政権になって、ES細胞の研究に対する政府からの助成が解禁されたとはいえ、保守派が強烈な力を持つ一筋縄ではいかないアメリカ社会の現実を映し出す。
フォックスはページ数にして本書のほぼ3割を政治的な闘いの記録にあて、残りを自分の家族や信仰について、自由に自分の思いを書き連ねる。11歳年上の姉の死、長男が生まれたときの喜びや、長男が7歳のときに自転車の乗り方を教えたときの思い出など、家族への熱い思いを語る。
2001年9月11日の朝に、東海岸のニューヨークなどで同時多発テロが起きたとき、フォックスは仕事のため西海岸のロサンゼルスにいた。テロ警戒のためアメリカ全土の空港は閉鎖され、ニューヨークにすぐ戻りたくても戻れない。フォックスは旧知のセキュリティ会社に頼んで車と運転手2人を手配してもらい、アメリカ大陸を48時間ちょっとで横断し、マンハッタンの家族のもとに帰りついた体験談も披露している。
もともとカナダ人のフォックスだがアメリカ国籍も取得し、選挙で一票を投じることがアメリカの政治を変える大きな意味を持つとも強調する。本書の終わり近くでは、2008年11月4日の大統領選の投票日の出来事を描く。投票所の近くで、先生に引率されて、いわゆる出口調査をしている女子生徒とのやりとりだ。女子生徒から、「だれに投票したか」と聞かれたフォックスは、バラク・オバマ候補に投票したことを教えるため、茶目っ気たっぷりの対応をする。