少年ながら農業は面白い、やりよう如何で発展性があると踏んだのだろうが、直接的な理由は、同級生のほとんどが農家の子どもにしてからが農業離れ、そんな「郷里のあり様」が彼をして農業へ向かわせた。
「人と同じことはしたくない、人がやらないことをしたい」と考える少年にとって、誰も「やらない農業」こそが「僕の領分」だった。
信念は揺るがなかった。高校3年になると、農業留学である。大規模農業を先進国でつぶさに見たかったのだ。休学の許可を得た時点ではアメリカ留学のつもりだった。ところが、母の苦言である。
「留学って言えば猫も杓子もアメリカ。人と同じことしたってダメよ。人の行かないところに行きなさい」
人と同じことをしない、の信条はどうも母譲りらしいが、父にしても一代で競走馬サラブレッドの飼育場を開業したそうで、“我一人我が道を行く”が村井家の家風なのかもしれない。
留学で受けた大型農業の衝撃
留学先探しは振り出しに戻った。サイトを開き、ここだと腑に落ちたのが、デンマークであった。
人口約541万人の小国にして国土の6割が農地の農業大国、養豚はなんと1200万頭飼育している。だからって肥沃な国土ではない。砂土だというところが九十九里町と似ていた。
ホームステイ先は、広大な食用油となる菜の花畑に囲まれる農家だった。異国の生活は年若の主人が弟のように可愛がってくれたお蔭で楽しかった。
村井さんは、初対面時の自然体のまま、こちらの根掘り葉掘りにも、何の気負いも衒いもなく率直に答え、一種独特な飄々とした愛らしさを感じさせた。デンマークの若きファーマーがいとおしがったのもそのせいだろう。
起業に際してはすでに社会人として活躍する友人4人の尽力を得たそうで、彼らが無報酬覚悟で役員の任も買って出たのも、この魅力の賜物だろう。
デンマークの留学は1年間、目的は大型農業のノウハウを学ぶこと、しかし、到着早々にして、村井少年は腰砕けとなるのだ。