韓国は、1965年の日韓国交正常化後に日本から資金と技術を供与されたことを契機に、1970年代以降、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる驚異的な高度成長を遂げる。その果実が集中したのが、それまで未開発だった現在のソウル市南部であり、地価はあっという間に1000倍、1万倍にはね上がった。その開発ブームの中、李さんは土地の売買を繰り返して大当たりしたのだ。李さんは、「国が発展したから、私にも恩恵がきた」と笑いながら話してくれた。韓国の知人に聞くと、李さんのような土地長者の話は珍しくないらしい。おそらく日本にも高度成長期には、こういう人がいたのだろう。
父親の意思を引き継ぎ、事業に財産をつぎ込む覚悟
李さんは21世紀に入った頃、文字を持たない民族へのハングル普及という父の遺志を果たすために財産を投げ出すことを決める。「私は、(不動産投資に)頭は使ったけど、一生懸命に働いて稼いだお金とは言えない。だから、神様が与えてくれた財産を意味のあることに使わないといけないと思った」のだそうだ。「子供には良い教育を受けさせたから、遺産は残さない。この事業に全財産を使ってもいい」という覚悟だという。
李さんは2003年に財団を設立し、ベトナムやモンゴル、ネパールで布教するというキリスト教の韓国人宣教師を支援して文字を持たない民族を探してもらったが、うまくいかなかった。学校を建てる資金を支援したのに、現地に行ってみると何もなくて「洪水で流された」と釈明されたこともあるそうだ。他人に任せても駄目だと考え、2005年には自分で宣教団体を組織した。そして、宣教師を各国のへき地に派遣してみたが、それでも適当な民族を見つけることはできなかった。
2006年ごろ、言語学者に頼んだ方がいいのではないかと考え、何のつてもなしにソウル大言語学科を訪問した。きちんとした学会を作って、他民族へのハングル普及をしてもらおうと思ったのだ。「文字のない民族にハングルを普及させたい」という李さんに、ソウル大の学者たちは当初、「そんなことは議論したことすらない」と否定的だった。李さんはそれでもあきらめずソウル大に何回も通い、文字を持たない民族にハングルを普及させることと、文字に関する国際学術誌を作ること、そのための財政支援は惜しまないことを伝えた。結局、「最後まで財政支援をしてくれるなら」という条件で協力を取り付けた。そして見つけたのが、チアチア族だったというわけだ。
李さんは、ハングル教育の拠点になってほしいと考えた現地の大学にコンピューターや教育施設を寄贈。ハングルを使ったチアチア語表記を教えるための教科書作りの資金も出し、ハングルを教える韓国人教師も現地に派遣した。すべて自分の財産を使ってだ。