教育者であり近代オリンピックの父と呼ばれるピエール・ド・クーベルタンは、1894年国際オリンピック委員会設立当時、様々な競技を同時期に集中して行い、スポーツによる国際交流を通して、異なる国や地域の文化や生活習慣などに対する偏見を減らし、互いを尊重することの大切さを学ぶ機会にしようとした。
この精神をベースとしたオリンピックを開催することによって、参加した選手や参加した全ての人々が平和の架け橋となり世界の平和に貢献できると考えたのである。
この考えはオリンピックに出場した選手や関係者だけを対象にしたものではないはずだ。スポーツに携わる全ての人が共有し、それぞれの立場でできることを主体的に行うことが大切なのではないか。
小学生は小学生なりに、大人は大人なりに、である。
この考えが基礎となって同じ横浜市に活動拠点を持つ、車椅子ラグビーチームと女子ラグビーチームのコラボレーションが生まれ、今回のダイバーシティ推進活動へと繋がっていったのである。
ゆえに本活動のプレスリリースに「スポーツマンシップの根幹は多様性を受け入れ尊重することにあります」と書かれている。
「心のバリアフリー」が進んでいった
今回のダイバーシティ推進活動のキッカケは、筆者が2012年12月「ウィルチェアーラグビー日本選手権大会」で国内で唯一女性選手として活躍する各務珠美さん(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2887)と出会い、同じ横浜市内で活動する女子ラグビーチームYOKOHAMA TKMとの親和性を感じたことに始まる。
その後、横浜市体育協会と両チームに提案し、2014年秋「ウィルチェアーラグビー日本選手権大会」予選リーグ高知大会を目前に控えた横濱義塾を激励するためYOKOHAMA TKMの選手たちが横浜ラポールを訪れたことによって具体的に進展していった。
「ハイハイハイ! 乗りたい!」「乗りたい!」「乗りたい!」と「ラグ車」に乗った彼女たち。とにかく賑やかに始まったのである。ズドーン! 最初のコンタクトで横浜ラポールのメインアリーナは大歓声に沸いた。
大学時代に障害者スポーツを学んでいたり、障害者施設の実習を経験している選手がいることや、医療法人の職員として、病院を訪れる患者さんたちと接する機会が多いためか、車椅子のアスリートたちに対してもそれほど戸惑う様子もなく接することができたのかもしれない。その根底にはお互いにスポーツを愛する仲間という思いがあることは言うまでもない。