損害賠償の限界
政府の無責任
こうなってくると、損害賠償という枠組み自体に、そもそも限界があると言わざるを得ない。審査会を設置するなどして基準を定めてはいるが、損害賠償は被害者と加害者が個対個で交渉し、損害を確定させるのが基本。自ずと時間がかかり、不公平も生じやすい。何より損害があるかないかという議論に拘束され、必要な措置が遅れる。
今回の賠償では、農協や漁協といった声の大きい団体賠償が先に決まり、個人賠償が遅れたという批判がある。最終的に拡充された長期帰還不能損害や住宅確保損害は、従来の損害賠償から言えば無理のある損害概念だが、同じく無理のある風評被害は早い段階で対象とされていた。これだけ広範囲にわたる原子力災害においては、損害賠償より、国家・行政による補償のほうが必要な措置を迅速に行うことができる。事業者には後で求償すればいい。
民主党政権が損害賠償の枠組みに拘ったのは、東京電力に責任を負わせておけば、火の粉も財政負担も被らなくていいという考えからだろう。しかしそれは結局、福島の復興を遅らせている。
そもそも原子力損害賠償法で想定していた被害を遥かに超えていたのだ。政府は特別法を制定し福島の現状に向き合わなければならなかった。「政府が前面に出る」と言った安倍政権は、早く原賠法改正に手をつけるべきだ。
(その3へ続く)
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