ベトナム戦争終結から40年の節目を迎え、エコノミスト誌4月25日-5月1日号が、この間の米国と中国の勢力関係を概括し、ベトナム戦争以来のアジアの戦略的秩序は中国の挑戦を受けつつある、と言っています。
すなわち、1975年当時、カンボジアがクメール・ルージュの手に落ち、南ベトナムが北ベトナムに吸収され、ラオスも共産主義化すると、アジア太平洋における米国優位の時代は終わったと思われたものだ。しかし、40年後の今日振り返ると、ベトナム敗戦はパックス・アメリカーナにおける些細な出来事にしか思えない。
確かに、ベトナム戦争後しばらくは、米国が世界的に後退したかに見えた。しかし、その後すぐ、インドシナでの出来事は「米国の指導力の終りを予兆するものではない」ことが明らかになった。既に、ベトナム戦争の泥沼化もあり、1972年にはニクソンが訪中し、米国は中国に門戸を開き始めていた。
この事実上の対ソ・米中提携により、アジアにおける米国の優位は万全となり、戦後、地域は急成長し、米国のベトナム介入は、もはや純然たる災厄とは思われなくなった。リー・クアンユーなどは、ベトナム戦争がなければ、東南アジアはおそらく共産主義化しただろう、と言っている。米国が時間を稼いてくれたおかげで、1975年には地域の諸国は共産主義に立ち向かえるようになり、この時期にその後出現する新興市場経済も育まれた。
この新たな世界秩序の最大の受益者が、米国優位が支える地域の安定を背景に、経済開放へと舵を切った中国だった。中国はこの体制からあまりにも利益を得ていたので、中国がこれに挑戦したり変えたがることなど、米国には理解できなかった。
最近まで、米国の戦略家は、中国は既存の世界秩序に適合させ得る、野心があったとしても、経済的、軍事的に米国よりはるかに劣る中国は、当面野心は棚上げにするだろう、と言っていた。しかし、今や彼らも、中国の目標は米国に代わってアジア太平洋、そして世界の指導国になることだと見ており、対中警戒論が勢いを増しつつある。外交問題評議会の新報告書も、米軍の増強と同盟国との軍事協力の強化を含む、対中「大戦略」の構築を要請している。
米政権も中国に対して厳しい路線を採り始めたようだ。アジア・リバランスを宣言し、インフラ開発銀行への不参加を同盟国に呼びかけ、中国が地域のルールを規定する事態を防ぐ上でのTPPの重要性を強調するなど、中国との競争を隠さなくなってきた。
他方、中国は米国が自分たちを封じ込めようとしていると疑い、アジア諸国と米国の同盟関係、とりわけ日米安保条約は冷戦の遺物であり、撤廃すべきだと主張している。勿論、同盟国側は米中どちらか一方の選択を迫られることを望んでいないが、いずれ選択せざるを得なくなるかもしれない。