5月9日、ロシアのモスクワでは、対独戦勝70周年を記念する式典・軍事パレードが開かれた。ソ連および、その多くの旧ソ連諸国では、対独戦は「大祖国戦争」と呼ばれてきたが、この名称が最初に使用されたのは、スターリンがラジオでソ連市民に演説を行った1941年7月3日のことだ。大祖国戦争とは、1941年6月22日からドイツが降伏文書に調印する1945年5月9日(中欧時間では5月8日)までの、ソ連とナチス・ドイツの戦争を指す。同戦争では甚大な犠牲が出たが、その厳しい戦いに勝利したことは、ソ連の人々の大きな誇りとなってきた。以後、毎年戦勝記念日が高らかに祝われて、犠牲となった民を悼むとともに、国威を発揚させてきた。
だが、今年の戦勝記念日は、70周年という節目の年ということもあり、またウクライナ危機で昨年から軍事が占める重要性がさらに高まるとともに、欧米との関係も厳しくなっているなかで、ひときわ重要な意味を持った。そのため、人々の高揚感は極めて強く、「ゲオルギーリボン*」を身につける者、配布する者も極めて多かったという。また、最新鋭戦車T14アルマータなど、最新兵器などが総出演となった史上最大規模の軍事パレードで軍事力を世界に示すと共に、友好的な諸国、特に中国との良好な関係も世界に見せつけることとなった。
一方、ウクライナ危機の影響で、10年前の式典とは全く異なり、日欧米のほとんどの首脳が欠席したり、代理を送ったりという対応となったことで、ロシアの国際的孤立が再認識されただけでなく、旧東欧圏のみならず旧ソ連圏でもロシアの式典から一線を画す動きが目立った。
*「ゲオルギーリボン」とは、ロシア帝国とソ連の勲章のリボンと同じ色、すなわちオレンジと黒の縞柄の象徴的なリボンであり、それを配布する社会活動が2005年から毎年戦勝記念日に行われている。民間から自然発生的に生まれた運動だが、後に政府関係者も参加するようになった。
戦勝記念日前夜
北朝鮮首脳欠席の舞台裏
ウクライナ問題により、欧米首脳が式典に欠席することは、ロシアにとっては想定内のことであったと思われる一方、注目されたのが中朝首脳の出席であった。
だが、確実視されていた北朝鮮の金正恩第一書記の欠席が4月30日に発表された。昨年来、関係を深めていたロシアを最高指導者として初の外遊先に選ぶとの見解も出ていたし、実際、北朝鮮は多くの使節を送って、金訪露の準備を周到に進めているように見えた。さらに、中露間のバランスにおいて、この参加を以ってロシアを選んだことを示すつもりだというような予測すらあったため、欠席が発表されると、様々な憶測が流れた。