ドイツもロシアを完全に無視したわけではなく、ドイツのシュタインマイヤー外相は5月7日に、独ソ戦において、ソ連が勝利を収める転換点となる壮絶な攻防戦が行われたロシア南部ボルゴグラード(旧スターリングラード)を訪問し、追悼すると共に、ロシアのラブロフ外相と会談した。また、メルケル首相も式典を欠席したものの、10日にプーチン大統領とモスクワの無名戦士の墓を訪問し、なんとか対戦の当事国としてバランスを保った形だ。
式典に伴う軍事パレードは極めて大規模に行われた。砲塔が無人化された最新鋭戦車T14アルマータや新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)ヤルスなど、最新兵器を含む194の戦車やミサイルなどの兵器、143の航空機、そして1万6500人以上のロシア将兵が参加した他、中国の陸海空の各軍から選び抜いた儀仗(ぎじょう)隊も112人参加したのである。インドなど、外国の軍の参加は他にもあったが、中国のこの精鋭部隊はひときわ異彩を放った。加えて注目されたのが、このパレードの間、主賓格の習近平氏はずっとプーチン大統領の隣にいて、しばしば二人が談笑していたことであり、それも二人の特別な関係をアピールする効果を十分に持った。このパレードは、国内外に核を含めた軍事力を誇示して「大国ロシア」をアピールすると共に、中国兵の参加は、パレードに華を添えただけでなく、中露の蜜月関係を改めて見せつける効果を持ったのである。
なお、ロシア海軍が黒海で行った式典にも、中国の軍艦が2隻参加し、中露両海軍はその後、11~21日に地中海で演習も行う予定となっている。加えて、今年9月には、中国が抗日戦争勝利記念日」に初めての軍事パレードを行うが、そこにはロシア軍の部隊も参加することとなっている。
そして、パレードに続き、50万人以上の市民が市内の約4キロを行進し、プーチン氏も戦争に参加した父親の遺影をもって行進に加わった。ウクライナ情勢などで厳しい状況の中、国民の結束を図る狙いがあると考えられる。
進むロシア離れ
他方、今回の戦勝記念日はロシア周辺国の反露意識が目立ったという特徴もある。主だった例をあげる。
まず、ポーランドは7日夜に、ナチス・ドイツが1939年9月 1日の第2次大戦開戦時に攻撃した北部グダニスクで、終戦70年の記念式典を開催した。これまで、記念日はロシアと同じ9日だったが、ウクライナ危機で反露意識が高まったため、西欧諸国と同じ8日に今年から変更し、関連行事を7日から始めたのである。式典にはウクライナのポロシェンコ大統領や国連の潘事務総長も出席した。
また、ウクライナも今年から対独戦勝記念日を9日から8日に変更した。さらに、それまでは対独戦を「大祖国戦争」と呼んでいたが、それがソ連風・ロシア風であるため、今年の4月に「第二次大戦」と呼称を変えることが決まっていた。そしてポロシェンコ大統領は、ヒトラーとスターリンが欧州分断を企て、流血の第二次大戦が始まったとして、元々は自らも所属していたソ連の戦争責任を激しく批判した。
加えて、ロシアとはもっとも緊密な関係にあると言って良いベラルーシのルカシェンコ大統領が、ロシアの式典への欠席を早々に表明したこともロシアにとっては許しがたい状況であったと思われる。式典欠席の理由としては「首都ミンスクで同様の式典があるため」だと主張しているが、ロシアとベラルーシは密な関係を持っているとはいえ、時に接近と離反を繰り返してきた経緯があり、ベラルーシとしては、欧米の反応をも加味して欠席に踏み切ったと考えられる。だが、カザフスタン、アルメニアはもとより、ロシアとの関係が若干微妙なアゼルバイジャンですら、大統領が式典に参加していることを考えると、ルカシェンコの欠席はやはり目立つのである。