Wedge REPORT

2015年7月16日

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アメリカのサムの息子法からの教訓

 日本でも現在、1995年に起こった神戸市児童殺傷事件を起こした元少年が手記を出版したことから、サムの息子法に対する関心がにわかに高まっている。日本は、アメリカのサムの息子法をめぐる歴史から何を学ぶべきだろうか。

 第1に、アメリカのサムの息子法は、犯罪の話から犯罪者が利益を得ることを禁止する法律として出発したが、現在では、「犯罪の果実」一般を犯罪被害者補償に充てる包括的な犯罪反-利益法に発展した。犯罪の話からの利益とそれ以外の犯罪の利益の二本立てとする州もあるが、対象となる利益を「犯罪の悪名から得た利益」と広く定義し、犯罪の話からの利益を明示しない州もある。

 これは、サムの息子法を直接的な言論規制と見せないことで、裁判所による厳格審査を避けるための知恵である。日本においても、包括的な犯罪反-利益法の枠組みの中に、犯罪の話から犯罪者が利益を得ることを禁止する仕組みを位置づけるべきであろう。

 また、前述の少年審判に関与した裁判官が最近、「元少年A『絶歌』に書かなかった真実」のとの題で、審判の決定文や精神鑑定などに言及しながら元少年の手記について解説した記事を雑誌に投稿した。アメリカでは、期間の制限はあるものの、凶悪事件に関与した裁判官や検察官や捜査官が、犯罪者の悪名を利用して報酬を得ることを禁止する州もある(ジョージア州)。これもまた、犯罪反-利益法の1つの帰結であろう。

 第2に、サムの息子法の適用は、有罪判決を受けた者、心神喪失などで免責された者、有罪答弁取引をした者に限定されている。被疑者・被告人は、後に裁判で無罪となる可能性があるからである。難しいのは、少年審判で保護処分が下され未成年の扱いである。保護処分を受けた少年と有罪判決を受けた者と同様に扱うことは、少年の保護と更生を主眼とする少年法の精神に照らして望ましいかどうかが検討されなければならない。

 第3に、犯罪の悪名からの利益が犯罪被害者への補償の原資として預託された後、犯罪被害者は、損害賠償請求訴訟を起こさなければならない。犯罪被害者は、裁判所に請求が認められ、認定された損害額を預託勘定から得ることになる。犯罪者であっても、公権力による財産の剥奪を伴う制度である以上、財産権の保障の観点からは、その決定に裁判所が関与することが望ましい。

 しかし、「訴訟社会」と呼ばれるアメリカとは違い、日本では民事訴訟の提起は、犯罪被害者や遺族にとって心理的にかなり高いハードルではないだろうか。日本では、損害に対する金銭補償を求めるというよりは、刑事裁判で十分に究明されなかった「真相」を民事裁判で明らかにしたいという動機から、犯罪被害者が民事訴訟を起こすケースが多いと聞く。このようなアメリカと日本の法意識の違いを考慮した制度設計が求められる。

 最後に、犯罪者が犯罪から利益を得ることを禁止することと、犯罪被害者に対して十分な補償を確保することとは、ある意味で矛盾する。アメリカでは、教師が13歳の生徒と性的関係を持ったことが第2級の強姦罪に問われた事件で、裁判所が、その話を出版社に売ることを禁止する命令を刑罰に付け加えた。この事件では、サムの息子法の適用を待たずに、裁判所が先手を打って出版の禁止を命じたのである。

 この裁判所の命令が争われた事件で、裁判所は、このような命令は州のサムの息子法の趣旨に反すると判断した(ワシントン州)。一切の出版の禁止は結果的に、犯罪被害者の補償に充てる原資を失わせることになるからである。多くの州では、犯罪被害者の補償後の残金は犯罪者に返還される(ノースカロライナ州)。これは、犯罪者が本を出版するインセンティブになりうる。 

 犯罪者が残忍な犯行を事細かく再現する行為は、犯罪被害者や遺族にとっては、癒えることのない傷を再び剔られるようなものであろう。これが、犯罪被害者の名誉やプライバシーを傷つける場合には、その出版に対する法的措置は当然である。しかし、ヒルの事例のように、犯罪者の表現活動にも社会的な意義がありうる。

 したがって、表現の自由の観点からは、犯罪者が表現活動から利益を得ることを一切禁止し、彼らの表現活動に大きな萎縮効果をもたらすことは避けるべきであろう。そのためには、アメリカのような厳しい限定が必要である。日本でも、犯罪被害者への補償と表現の自由の価値を調和させる「日本版サムの息子法」の制定に向けた冷静な議論が求められる。

  
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