マーティン・スコセッシ監督の名作『グッドフェローズ』は、映画ファンなら誰もが知っている作品だろう。貧しい街で育ち子どもの頃からマフィアに憧れていた男が、ボスに見込まれ組織のメンバーなったが、暴力と裏切りの世界のなかで次第に追い詰められていく半生を描いた作品である。惜しくもアカデミー賞の作品賞は逃したが、いまや伝説の名作と言っていいだろう。
この映画の冒頭のクレジットタイトルに「この映画は実話(true story)に基づいている」と出てくる。この映画の下敷きになったのが、ニコラス・ピレッジ『グッドフェローズ』(徳間文庫・1990年)〔原題 ”Wiseguy: Life in a Mafia Family”〕である。
この本は、組織を抜け連邦証人保護プログラムの保護下にあったヘンリー・ヒルに対して、ピレッジが300時間に及ぶインタビューを行い、1冊の本に仕上げたものである。しかし、もし出版前にニューヨーク州のサムの息子法(Son of Sam Law)がこの本に適用されていたならば、ひょっとすると出版の計画は頓挫し、映画も制作されていなかったかもしれない。
サムの息子法の制定
きっかけは70年代後半の連続殺人事件
ニューヨーク州のサムの息子法は、1976年から77年にかけて、ニューヨークを震撼させた連続殺人犯デビッド・バーコビッツをめぐる騒動から生まれた法律である。バーコビッツは、銃で無差別にニューヨーク市民を殺傷し、捕まるまで6人を殺害し、7人を負傷させた凶悪犯である。彼は、犯行現場に「サムの息子」と署名した紙片を残していったことから、サムの息子と渾名されるようになった。
バーコビッツは逮捕後、この残忍な犯罪の話を出版することを持ちかけられ、その見返りとして7万5000ドルを受け取ると噂された。当然、多くのニューヨーク市民は激怒した。この市民の義憤がニューヨーク州議会を動かし、いわゆるサムの息子法が制定されたのである。
ニューヨーク州のサムの息子法には、2つの目的があった
(a)犯罪者が自らの犯罪から利益を得ることを禁止することと、(b)犯罪被害者やその遺族に対する十分な補償を確保することである。(a)は、古くからの法の大原則でもある。この目的のために、ニューヨーク州法は次のような仕組みを作った〔【図1】参照〕。
(1) 出版社・放送局・映画会社など(以下「出版社」)が、犯罪者からその犯罪の話を聞き、その対価として金銭を支払う旨の契約を結んだ場合、その契約の写しを犯罪被害者委員会(以下「委員会」)に提出しなければならない。
(2) 委員会が、その契約の内容を審査し、それが犯罪の話に対価を支払うものと決定すれば、出版社は、犯罪者に支払うべき金銭を預託勘定に預けなければならない。
(3) 出版社が(1)の義務に違反していると判断した場合、委員会は、出版社に対して犯罪者との契約の写しの提出と支払った金額・日時等の報告を行うよう命じる。委員会は、契約と出版物の内容を審査し、(1)に違反していると判断した場合には、出版社に民事罰を科するとともに、犯罪者に支払った(将来支払うべき)金銭の預託を命ずる。
(4) 委員会は、問題の犯罪に関係する被害者・遺族(以下「犯罪被害者」)に金銭が預託されたことを通知する。
(5) 犯罪被害者は、預託がなされてから5年間、犯罪者に対して損害の賠償を求める民事訴訟を起こすことができる。民事訴訟で勝訴した場合、裁判所が認めた損害賠償額を預託勘定から得ることができる。
(6) 預託がなされて5年が経過し、関係するすべての民事訴訟が終結している場合、預託勘定に残っている金銭は犯罪者に返還される。