2025年2月14日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2025年1月19日

(2024.10.8~12.29 83日間 総費用24万1000円〈航空券含む〉)
バンガロールの下町シティー・マーケット付近の交差点

 都市名は変わったが35年前と変わらないムンバイ(旧ボンベイ)。正直なところインドは喜んで行きたい国(destination)ではない。今から35~36年前の現役時代にボンベイとニューデリーにそれぞれ1週間くらい出張しただけで縁がなかった。11年前に還暦定年退職して以来インドには過去3回長期旅行している。北インド3カ月、東インド2カ月、西インド2カ月。そして今回の南インド3カ月は4回目。

 筆者は二足歩行ができる限り未知の世界を放浪することを退職後の残りの人生の目的(mission)と思い定めた。そんな筆者にとり広大かつ複雑多様なインドを知らずして本物のバックパッカーとは言えない。そんな思いから意地になって苦手なインドに4度目、そして恐らく最後のインド旅をしてきた。

 インドは過去十数年で飛躍的に経済発展した。しかし今回インド到着初日にムンバイで痛感したのは35年前と根本的には何も変わっていないということだ。大通りはバイク、リキシャ(三輪車タクシー)、四輪車、バスなどがひしめき合って交通信号は機能しない。しばしば荷車や牛や犬が車道をふさぎ歩行者は縦横無尽に横断して粉塵と排気ガスと警笛の騒音がカオスを形成している。

 そして中央分離帯やシャッターが下りた軒下にはそこかしこに路上生活者が死んだように寝ている。車道、歩道にところかまわずゴミが散乱して牛、ロバ、犬の糞尿が異臭を放っている。

なぜ何らためらいもなくゴミをポイ捨てするのか

旧フランス領ポンディシェリー駅近くのゴミだらけの線路

 インドで最も違和感を覚えるのが公共の場所でのゴミのポイ捨て行為だ。ボンベイ湾の観光船の船着き場は小さな入り江にあった。ペットボトルとレジ袋のようなプラゴミが入江一杯にぎっしりと溜まっていた。そしてインド人観光客はなんら躊躇することなく観光船から当然という雰囲気で空いたペットボトルを入り江に投げる。堤防の上で観光船を待つ人々も菓子袋やアイスクリームのカップを入り江に投げる。観光船や堤防には手近にゴミ箱、ゴミ籠があるにも関わらず。

 世界遺産の壮麗な建築で知られるボンベイ駅のプラットフォームで列車を待っていると5歳くらいの女児がジュースの空き缶を線路めがけて投げたが距離が足らずプラットフォームの端に落ちた。母親が何か注意すると女児は空き缶を拾って改めて線路に投げ込んだ。母親と女児が座っていたベンチの横にはゴミ籠があったのだが。

 インドで列車やバスに乗ると窓からゴミを投げるのはフツウである。列車では車両の前後に必ずゴミ箱が設置されているがゴミ箱まで行って捨てる人は稀有だ。筆者が列車で飲み終わったコーラ瓶をゴミ箱に捨てに行こうと座席立とうとしたら、前の座席の立派な身なりの紳士が親切顔ですかさず窓を開けて筆者のコーラ瓶を掴むと外に放り投げた。

 その結果としてインドでは線路沿いは視界一杯に延々とゴミが散乱しているし、幹線道路脇も空き瓶、空き缶、プラゴミが際限なく続く。

 インドでは小学校から「ゴミはゴミ箱に」と教育していると何度か聞いたことがあるが環境教育の理念が人々の実践と乖離している。

自分の占有空間ないしプライベート空間と公共の場所の区別

ムンバイ近郊の海岸近くの川は上流から押し寄せるゴミで埋め尽くされていた

 何度もインド人やインドに住んでいる外国人から聞いたことがあるのはカースト制度の下で清掃を生業とする人々がいるので公共空間へゴミを捨てるのは当然であるという考え方である。

 筆者の観察ではインド人も自分のいる場所を私的空間として清潔に維持することは他の国民・民族と同様である。列車やバスなどの車内では自分の座席という私的空間の外側にゴミを排除しようと車窓からゴミを投げるのである。ゴミを車窓から外に捨てるのとゴミ箱に捨てるのと意識的には同様のようだ。

 町角で常に見掛けるのは自宅や店の掃除をして私的空間内で発生したゴミや塵芥を道端に掃き出す人々である。これも道端という公共空間の掃除は清掃を生業とする人々に任せるという考え方なのだろう。


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