2024年9月27日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2024年9月22日

(2024.3.13~5.1 50日間 総費用23万8000円〈航空〉)

ネグロス島ドゥマゲティ市のコリアン教会

1990年創設の韓国教会。中は日本の小学校の教室くらいの広さ

 3月26日。ネグロス島のドマゲッティは人口13万人のリゾート学園都市。郊外のホステル近くのバス通り沿いの2階建ての教会の脇にハングル文字で韓国教会(ハングク・キョフェ)と書かれた案内板があった。2階建ての教会はフツウのフィリピン人信者向けのようだ。教会の隣の中華食堂で中国江蘇省出身の女将に聞いたところ韓国教会が中華食堂の敷地の奥にあり韓国人の牧師がいるという。

 韓国教会は小さな建物で日本の小学校の教室を少し大きくしたくらいの広さ。入口に英語とハングルで由来が記されており「1990年にソウルとマニラの篤志家の寄付により建てられた長老派教会(Presbyterian Church)」とあった。

地元フィリピン人で繁盛しているコリアン・タウン

コリアン・タウン。画面の左側奥がミニ・スーパー。さらに左側にカフェ、 ゲームセンターがある。手前には広い駐車スペースがある

 韓国教会からバス通りを10分ほど北に歩くとコリアン・タウンというモールがあった。夕刻でかなり客が入っている。手前に開業準備中のゲームセンター、次にK-Town Coffeeというカフェ、K-Martという韓国物産のミニスーパー、韓国レストラン、K-Chickenというフライドチキンの店、更にK-Hot Plateという韓国焼肉店、K-カラオケが並んでいる。

 オープンエアのスペースにテーブルと椅子が置かれており、アイス・コーヒーやフライドチキンなど店からテークアウトしたものを飲食している。客層は大半がフィリピン人であるが、韓国人家族もちらほら見える。

 K-Martなるミニスーパーではキムチ、コチジャン、韓国焼海苔などの食材、韓国ビール、マッコリ、焼酎などの酒類などが並ぶ。面白かったのは陳列棚にぎっしりと並ぶカセット・ガスコンロ、プルコギ鍋、魚焼網、チゲ鍋などの韓国料理調理器具だ。主に市内在住の韓国人が買いに来るという。この店は2016年に市街地に開業したが手狭になったので2023年にコリアン・タウンに新装開店したという。

 フィリピンではKポップ、Kドラマ(韓流ドラマ)が人気となりマニラ、セブ、ダバオなどの大都会で韓国レストランが次々にオープンしてKフード(韓国料理)も広がって来た。現在では地方都市でも韓国レストランを見かける。ちなみにフィリピンの若者に聞くとKポップ、Kドラマは広く人気があるようで逆にJポップは殆ど知られていない。かろうじて知られているのはアニメの主題歌だけだ。そのようなK文化のフィリピン社会への浸透がコリアン・タウンの繁盛を支えているのだろうか。

フィリピンを訪れる外国人観光客の4人に1人は韓国人

 ドゥマゲティという地方都市の郊外に韓国人教会やコリアン・タウンが存続できるほどフィリピンの韓国人社会は裾野が広いのだろうか。

 観光は外国への出稼ぎと並びフィリピンの重要な外貨収入源である。2023年の外国人観光客は合計550万人でGDPの8%を占めている。同年の国別内訳は韓国が144万人で堂々の断トツ1位。以下、米国90万人、日本30万人、中国24万人と続く。そしてフィリピン政府は2024年には外国人観光客合計820万人を想定している。

 他方でフィリピン在留韓国人は2021年時点で3万3000人(フィリピンに帰化した朝鮮半島出身者を含めると11万人)。同時点で在留日本人は1万6000人。人口比で韓国は日本の4割ほどなのでいかに韓国人居住者が多いか理解できる。邦人は半数以上がマニラ首都圏に集中しているが、韓国人はマニラ以外にも広く分散している。

在フィリピン35年の韓国人老牧師

79歳の李牧師と70歳の放浪ジジイ

 3月29日。韓国教会の近くの中華食堂でレッドホース・ビールを飲んでいたら近くのテーブルに常連らしき御仁がいた。日系人のようにも思えたので声をかけたら韓国人であった。

 彼、李文善(イ・ムンソン)さんは韓国教会の牧師だった。李牧師は韓国江原道出身。1945年生まれの79歳。韓国の長老派教会から35年前にフィリピンに派遣されたという。

 李牧師は1989年に44歳の時にフィリピンに派遣された。1988年に韓国では盧泰愚大統領が就任。韓国は朴正熙大統領の下で漢江の奇跡と言われた経済成長を遂げて、さらに1988年にはソウル・オリンピックを成功させている。日本は1989年に昭和から平成に時代が変わった。

 日本ではあまり知られていないが、韓国は人口の約40%がキリスト教徒である(ちなみに韓国社会のキリスト教会については『韓国社会に乱立する教会の信者争奪戦』拙稿ご参照)。残りが仏教と儒教。キリスト教徒の内訳はプロテスタント60%、カトリックが40%。朝鮮戦争のあと米国のプロテスタント系教団が熱心な布教活動を行ったことが背景にある。なかでも米国長老派教会がその中心であった。

 韓国が豊かになり韓国長老派教会は、貧困を抱えるフィリピンにミッションを送ることになったというのが李牧師の赴任に至る背景のようだ。フィリピンは400年近いスペイン植民地時代のレガシーで国民の90%近くがカトリックである。そんな環境で李牧師は赴任の2年後の1990年に韓国教会を設立した。

 現地人の信者が増えて韓国教会が手狭になったのでその後バス通りに面したフィリピン人向けの2階建ての教会を建設して、現在の韓国教会の建物を韓国人信者専用の教会にしたという経緯らしい。

 ビールを飲みながら話を聞くと英語はおろかビサヤ語も堪能のようだ。韓国の神学校を卒業してフィリピン赴任後は20世紀初頭に開学したプロテスタント系名門大学であるドゥマゲティ市内のシリマン大学で神学修士課程を修了。異国の地で布教活動に挺身する李牧師の話を聞いて東洋への布教に一身を捧げた聖フランシスコ・ザビエル(現在の教科書ではハビエルと表記)を思い出した。

イースターのミサ、老牧師の“ハレの日”

長老派神学中高大学の講堂でのイースター・ミサ。フィリピンでは熱帯気 候のためこのよう屋根付きの風通しの良い講堂兼バスケットボールコートが多い

 3月31日。李牧師の招きで長老派神学中高&大学(Presbyterian Theological College & University)で開催されたミサに参列した。この学校は中学・高校課程から始まりその後大学も増設された。李牧師は韓国長老派教会及び米国長老派教会の支援の下でこの学校の開設準備から現在に至るまで運営責任者の1人であるという。

 ミサでは生徒の音楽隊による伴奏で讃美歌を歌い、それから米国長老派教会の白人の牧師が英語で説教をした。数人が説教した後でミサの事務局を勤めた李牧師が紹介され拍手を浴びた。老牧師にとり35年の労苦が報われた晴れがましい瞬間であろう。

 ミサの後で米国長老派教会の信徒の懇親昼食会に招かれた。説教した白人牧師、白人やラテン系の信者もいたが、米国信徒の多くは朝鮮戦争後に米国に移住した韓国人であった。60代から70代の女性が多かった。彼らはロサンゼルスの長老派教会の信者仲間で、観光を兼ねてフィリピンの長老派教会の活動に参加しているようだ。キリスト教を軸に形成された在米韓国人社会の一端を垣間見た昼食会だった。


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