2026年5月20日(水)

日本主導で平和の再構築を

2026年5月20日

 日々のニュースを見るたびに、私は憂鬱な気分になる。「平和」がどんどん遠ざかっているからだ。

2022年、ウクライナのミコライウ。ミサイルにより建物の一部が破壊されても、その町並みは美しい(KO SASAKI)

 あれだけ頻繁に映し出されていたウクライナのゼレンスキー大統領の姿を、最近はほとんど見ることがなくなった。ガザやベネズエラも話題になっていない。目下、日本人の関心事項は、イラン戦争とホルムズ海峡危機だ。しかしそれもいつまで続くだろうか。

 私たちは情報の洪水によって、わずか1週間で、関心が大幅に塗り替わる〝忘却の時代〟を生きている。

 一方、SNS上では、空虚な議論を戦わせ、「お前はどちらの立場なんだ」「もっと考えろ」と〝急き立てられる時代〟を生きている。

 私は昨年12月、旧ユーゴスラヴィア諸国やウクライナなどを巡る旅を通して考えたことをまとめた『平和と愚かさ』(ゲンロン)を上梓した。平和から遠ざかっている今だからこそ、改めて平和と向き合い、平和とは何かを考えたかったからである。

 詳しい内容は本書に譲るが、「平和」と「愚かさ」は、ともに「考えないこと」の表現である点で共通している。人は、ものを考えない時に平和を感じる。ただ、何も考えなければ愚かなことをするのが人間である。「平和」と「愚かさ」は一見すると相反するが、実は表裏一体の関係にある。

 今、平和について考えることは、軍事や安全保障について考えることという意識が根強い。もちろん、軍事がなければ平和な世界は実現できない。だが、そもそも「Security」の語源は、ラテン語の「se」+「cura」である。その意味は「without care」、ケアについて「考えなくて良い」状態を指す。つまり、何も考えなくてよい状態が真の安全であり平和であるということだ。

 人々は誰しも平和を望んでいるはずだ。にもかかわらず、今は平和について語ることが難しい「逆転の時代」になった。なぜか。それは現代を生きる私たちは政治について語りすぎているからだ。昨今、国民全員が政治評論家や軍事評論家のようになり、常に戦争や国境問題、外交問題について語り続けている。もちろん、良質な緊張感を持ち、危機に備えることは重要だが、多くの人々が四六時中ピリピリと考えている状態は、そもそも平和といえるだろうか。現実的に考えても、仮想敵国同士の世論が刺激しあい、問題がインフレ化してしまう。

 本当は平和とは「ものごとに心配しないでいられること」だったはずだ。だとすると、平和が必要だと語れば語るほど、私たちは平和から遠ざかることになる。平和を構築するためには、この逆説的な原則をまず、頭に入れておく必要がある。


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