2026年5月11日(月)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2026年5月11日

 2026年4月3日付ウォールストリート・ジャーナルの社説は、北朝鮮については外交によって核保有を阻止できなかったが、トランプ大統領はイランについて同じ過ちを冒さないようにしていると指摘する。

2026年4月7日、イランのテヘランで、4月6日に実施された軍事作戦中に攻撃を受けたシャリフ工科大学のデータセンター(REX/アフロ)

 トランプ大統領は、外交が失敗した後、軍事力を用いてイランの核保有を阻止すると決めた。これは危険な選択であると指摘されている。

 一方、忘れられているが、北朝鮮に対する米国の経験は、それ以外の方策をとることはもっと危険であることを示唆している。北朝鮮についての経緯は、核を巡る外交には限界があり、米国が紛争回避を優先した際、どのような帰結になったかを示す、思い起こす価値のあるものだ。

 1984年、米中央情報局(CIA)は北朝鮮が兵器級プルトニウムを得ようとしている可能性があると警告した。国際的圧力により、北朝鮮は翌1985年に核不拡散条約(NPT)に加入した。これは北朝鮮が原子力の平和利用を進める意図を示すものと思われたが、北朝鮮は核計画を推進し続けた。

 93年、北朝鮮は査察員の核施設へのアクセスを拒み、NPT からの脱退を宣言した。北朝鮮は94年に使用済み核燃料を取り出し、再処理によるプルトニウムの生産が疑われる事態となった。

 クリントン大統領は制裁の脅しをかけ、米軍は核施設を攻撃する計画を策定した。そこに、カーター元大統領が現れ、事態の打開を図りたいと訪朝し、金日成と話し合い、暫定的な合意を 発表した。軍事行動は選択肢から除外され、クリントンはカーターの交渉結果を受け入れ、それが94年の「枠組み合意」となった。

 ところが、パキスタンの核科学者A.Q.カーンが核兵器を持つためのもう一つの方法であるウラン濃縮で北朝鮮を手助けした。北朝鮮が核兵器を持とうとする意図には変わりなく、核兵器開発の研究が続けられた。

 02年、ジョージ・W・ブッシュ政権がウラン濃縮計画の問題を北朝鮮に突きつけ、北朝鮮は「枠組み合意」を破棄した。金正日は査察員を追い出し、核拡散防止条約(NPT)から脱退し、プルトニウム製造を再開した。

 ブッシュ大統領は、威嚇、制裁、外交を用いたが、武力は行使しなかった。北朝鮮は06年に最初の核実験を行った。米国が軍事オプションをとることはさらに危険になった。


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