2026年6月8日(月)

スポーツ名著から読む現代史

2026年6月8日

 サッカーのワールドカップ(W杯)北中米大会がまもなく開幕する。日本は1998年のフランス大会以来8大会連続で出場する。前回カタール大会で日本をベスト16に導き、今大会も指揮を執る森保一監督は「目標は優勝」と公言し、国内での期待もこれまでになく高まっている。

(ロイター/アフロ/gettyimages)

 今回紹介する『逆転監督 森保一』(木崎伸也著、2026年文芸春秋刊)は、6月12日に開幕するW杯北中米大会直前の5月末に出版された。同書は2部構成で、第1部で森保監督のサッカー人生のルーツをたどり、第2部ではインタビューを通じて日本代表を率いる監督としての指導理念、哲学に迫っている。

 『NumberWeb』で24年1月から25年12月まで連載された記事に加筆・修正したものだといい、W杯開幕に合わせて緊急出版された。森保ジャパンが日本のスポーツファンに「最高の景色」を見せてくれるかどうか。日本代表の活躍を期待しながらここで紹介してみたい。

「速くない、うまくない、強くない」高校生

 タイトルの『逆転監督』とは絶妙なネーミングと言える。前回カタール大会で、W杯優勝経験があるドイツ、スペインを破った森保ジャパンだが、この2試合とも前半に失点しながら後半に逆転で勝利を収め、世界を驚かせた。

 さらに25年10月14日、ブラジルとの親善試合でも前半に2点を失いながら後半に3点を奪って逆転勝ち。「逆転勝利」が大番狂わせのパターンとなっているのだが、実は森保監督のサッカー人生も「逆転」の連続だった。

 1968年生まれの森保少年は長崎市で育った。小学生でサッカーを始め、中学時代は入学当初、サッカー部がなく、別の中学のサッカー部で練習するなど紆余曲折があったが、森保の父親らが学校と掛け合い、サッカー部ができ、キャプテンとして活躍した。

 当時、長崎のサッカーといえば名将小嶺忠敏監督率いる島原商高校が全国制覇し、県内の頂点に立っていた。森保が中3の時、小嶺監督が国見高校に転任するというニュースが流れた。もし国見高校に進学すれば、小嶺新体制の一期生になれる。有力なサッカー選手が国見への進学を目指す中、森保は長崎日大高校に特待生として進学する。

 当時の長崎日大高サッカー部は全国高校選手権やインターハイの出場経験もなく、県内でも中堅のチームだった。高校時代の森保のプレーが大学や実業団チームのスカウトの目に止まることはなかったが、高校の下田規貴監督の人脈の広さが森保をサッカー界につなぎとめた。下田監督がたまたま日本サッカーリーグ・マツダSC(現サンフレッチェ広島)の今西和男総監督と親しく、下田が年賀状に「ひたむきにやる選手がいるからぜひ見に来て欲しい」と森保のことを売り込んだ。

 今西は今年4月に85歳で亡くなったが、森保をサッカー界に引き入れ、後に日本代表監督にもなるハンス・オフトと森保の縁をつないだ点でも功績が大きい。

 <森保が高3になる春、今西は当時マツダのコーチだったハンス・オフトを引き連れて長崎日大高を訪れた。今西は17歳だった森保の第一印象をこう振り返る。「足は速くない。ボール扱いもうまくない。背が高いわけではないからヘディングも強くない。森保にはわかりやすい特徴がなかった。ただ、オフトが『日本人はボールを持つとみんな下を向くのに、あいつは上を向いてキョロキョロしている』と言ったんです。土のグラウンドでボールを扱うのが難しいのに、森保は顔を上げていた」>


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