2026年6月8日(月)

スポーツ名著から読む現代史

2026年6月8日

指導者としての道

 03年シーズンを最後に現役引退した森保は翌年から指導者への道に進む。ユース世代の日本代表コーチなどを経て12年、サンフレッチェ広島の監督に就任し、史上2人目の日本人新人監督優勝を飾った。

 翌13年は史上4人目の連覇を達成、15年には3度目の優勝に導いた。17年にサンフレッチェを退団し、18年W杯ロシア大会では西野朗監督をコーチとして支え、16強進出を果たした。

 ロシア大会終了後に20年東京五輪代表監督と、22年W杯カタール大会の代表監督を兼務することになった。五輪代表と日本A代表の監督を兼務するのはフィリップ・トルシエ以来である。著者は「第2部」で、森保への直接インタビューを通じて指導者としての信念、哲学や、森保が手掛けた数々の「逆転劇」の舞台裏に迫っている。

 <「ヨーロッパで戦っている選手たちは状況に応じて『ああする、こうする』ということを具体的に監督から伝えられている。(略)具体的に伝えること、オプションを持つことが大事だと考えるようになりました。耐えしのいで最後に自分たちのペースに持っていくというやり方があってもいいですが、難しい状況に陥った時に対策を打てる方がいいと考えるようになった。『よし、プランBで行こう』みたいな感じで。そこは過去4年間で変わったところです」>(140頁)

 22年W杯カタール大会のドイツ戦。後半に3バックにシステム変更し、攻撃力がパワーアップし、逆転勝利につなげたように、親善試合の段階から臨機応変にシステムを変えられるテストを繰り返してきた。

「水漏れ」防いだブラジル戦勝利

 森保ジャパンの伝説に新たな1ページを加えたのが25年10月14日のブラジル戦(東京・味の素スタジアム)だ。日本は前半に2点を失ったが、後半立ち上がり、MF南野拓実のゴールで追い上げ、さらに中村敬斗、上田綺世が相次いでゴールを重ね、3-2で逆転勝ちした。W杯5度の優勝を誇るブラジルとは14戦目で初めて勝った。

 逆転のきっかけとなったのが1点差に追い上げて迎えた後半9分のメンバー交代だった。久保建英に代えて俊足の伊東純也を投入した。いつもなら堂安律の右ウイングバックに伊東が入り、堂安を前に上げるところだが、堂安をそのまま残し、伊東を右シャドウに入れた。堂安自身が「なぜ?」と驚いた起用だった。

 だが、この策が功を奏する。高い位置からロングパスを受けた伊東が起点となって2点を加え、ブラジルに逆転勝ち。森保采配が見事にはまった。堂安と伊東のポジションを入れ替えなかった理由を森保は次のように説明している。

 <「戦い方がはまっているときは、守備の選手は基本的には動かさない方がいいと考えています。ちょっとした隙が生まれたり、連携がうまくいかなかったりしたら、そこを突かれて一瞬でやられてしまう可能性がある。過去には純也(伊東)を途中から入れる時は、律(堂安)をひとつ前に上げることが多かったですが、ブラジルは個とコンビネーション、両方を持っている。フレッシュなパワーだけを求めるのであれば純也をウイングバックにしていたかもしれませんが、ブラジル相手には連携を一から始めることの方がリスクがありました」>(179~180頁)

 守備の「水漏れ」を防ぐという森保の哲学がブラジル戦の逆転劇の元となった。


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