2024年11月22日(金)

小川さやかのマチンガ紀行

2015年7月27日

 

保険や担保としてのケータイ

 タンザニアの都市部では、正規の質屋業がほとんど発展していない。それには様々な理由が考えられるが、ひとつには多くの若者にとって、まとまった金銭に変えられるような動産、それもすぐに転売できるモノ自体がそれほど多くないことが挙げられる。宝石や金の装飾品、有名なブランドの高価な時計や鞄などを持っている者は政府高官の家族やアジア系住民などに限られていた。

 都市下層の大多数の若者が所有する時計やラジオなどは二束三文の粗悪品であり、テレビなどの家電製品はもともと中古品で購入したものも多く、転売自体が容易でない。その点で、高価であり小型で売り買いのしやすいケータイは、ほとんど唯一の「質草」となりえる財産だった。

 当時、商店からケータイを購入する余裕がない若者たちの多くは、インフォーマルなケータイ・ディーラーから相場の半額ほどでケータイを手に入れていた。これらのケータイは、緊急に金銭が必要になった若者が、購入額の3分の1程度の価格でディーラーに販売したものだ。

 質草のように、買い手がつく前になら売値とそれほど違わない価格で買い戻すこともできるので、友人のディーラーのところには、「子どもがひどいマラリアになって入院させるしかない」「仕事を馘首になってもう生活費が底をついた」などの事態に、泣く泣くお気に入りのケータイを売りに来るものも大勢いた。

アフリカに金融革命を起こしたエム・ペサ

 若者のなかには、ケータイにいざという時に金銭を得る「保険」としての価値を見出す者もいた。小銭が貯まるとグレードアップしたケータイに交換したので、若者たちのケータイ機種はじつに頻繁に変わった。インフォーマルなケータイ市場で売り買いの相場が確立されると、ケータイは仲間どうしで金銭を貸し借りする際の担保にもなった。返済できないときにはケータイを売るという約束で、お金を借りるのだ。

町のいたるところにあるエム・ペサ

 それゆえ、ケータイは泥棒やスリの最大の標的ともなった。実際にディーラーのところには、盗品も大量に流れてきた。だが当時は、それほどケータイの種類が豊富ではなく、SIMカードを抜いてしまえば、誰の所有物かは容易には判断できなくなるし、本体に名前を書くなどすると今度は転売できなくなるので、打つ手がなかったようだ。

 このようにしてケータイは徐々に都市下層の若者の間にも普及していったが、2008年を境にケータイ市場が大きく変貌していく。この年、タンザニアの通信会社のマーケットシェアで首位を走るヴォダコム社(Vodacome)が、ケニアのサファリコム社(Safaricom)で開発されたエム・ペサ(M-PESA)のサービスを開始したのだ。

 エム・ペサは、これまで銀行サービスにアクセスできなかった人びとがお金を安全かつ安価にやり取りする手段として、アフリカ諸国で急速に広まった送金サービスである(内藤2012:157)。

 具体的な方法は次の通りだ。①送金したい者は、最寄りのエム・ペサ代理店に行き、現金を電子マネーに換えて、自身のエム・ペサ口座(ケータイ口座)にチャージする。②送り先のケータイ番号へと電子マネーを送る、③受け取った側は、最寄りのエム・ペサ代理店で電子マネーを現金化する。同様のサービスは、現在では、ヴォダコム社以外にも、ティゴ(Tigo)社やエアテル(Airtel)社など、タンザニアの主要なモバイル通信会社が実施している(各社で名称やサービス内容が異なるが、以下では便宜的にエム・ペサを使って説明する)。


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