ベルリンの中に、ソビエトの飛び地があるような強烈な違和感に包まれます。いくら占領したからといっても程があります。少なくとも他国の首都にあるべきモノとは思いません。もしこれが東京にあったら、ソビエトがロシアになった瞬間、多少のお金を払って許可をもらい壊していたでしょうね。外国人の私が見ても、違和感ありありですからね。
ベルリンの壁 ドキュメントセンター
第二次世界大戦でなく、冷戦時代の象徴とも言えるベルリンの壁。東ドイツの人民が西側に亡命できないように、ソ連が築いたものです。壁が存在した27年間の間、乗り越え、西ドイツに亡命した人、5000人以上。逮捕者、3000人以上、そして死亡者、192人。その壁が最もよく分かるということで、ベルリン中央駅から約2.5キロのBernauer通りにある「ベルリンの壁ドキュメントセンター」に行きました。
ベルリン中央駅の方から進むと、センター手前の公園から壁は始まります。この公園、一種の慰霊公園になっており、人の写真が飾ってあります。そして巨大な十字架。瞬時になんともやりきれない気分になります。そして所々切れてはいますが、道沿いに高い壁。ジュラシックパークを囲む城壁のようです。その公園の向こうに、ドキュメントセンターがあります。資料も豊富なのですが、上が展望台になっており、当時の壁の様子が見られるのです。公園から続く壁が、ここでは完全な形で見ることができるのです。
上から見下ろすと、2つの高い壁に挟まれた、何もない砂漠のような幅10メートル程度のエリアに見張り台が見えます。民族を、人を、政治イデオロギーのために分断した場所です。リアルにそれを眺めていると、コミュニケーションが取れない状態は、「なんと不毛なのか」が身に染みてきます。
ちなみに、今年のベルリンはイスラム系の人を見かけることが多くなりました。私が滞在中に、難民の第一弾は入国したのですが、これは分かりませんでした。このベルリンの壁を経験したら、コミュニケーションが取れるなら、取った方がベターという気持ちになるのではないでしょうか?
虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑
2005年に出来上がった慰霊碑です。場所は、ブランデンブルグ門とポツダム広場の間です。日本で例えると、皇居と銀座の間、有楽町に巨大な慰霊碑ができたとイメージして頂ければと思います。もともとベルリンの壁があったところですが、商業エリアとしても一等地であることは確かです。敷地1万9000平方メートル。2711本のコンクリートの碑(棺)が、不気味に存在します。東京ドームのグランドの面積が、1万3000平方メートル。それ以上の面積を一等地で使い、この石の碑が並ぶわけですから、それはスゴイです。
しかもこの碑、ランダムに高さが違うため、音楽でいうと不協和音が跳ね回っている感じがします。
この碑の対象はヨーロッパのユダヤ人に限定されていますが、600万人〜1000万人。未だに正確な実数は不明らしいです。10分くらい中を歩きましたが、感想は「空」しいの一言です。人の命の儚さ、終わりがあることが寂しく、それを一方的に奪う人がいることが寂しく、なんとなく空しいのです。