改めて『総員玉砕せよ!』と、『ゲゲゲの鬼太郎』第1巻の<鬼太郎の誕生>編を読み比べた。そして、「あっ」と思ったのだ。
鬼太郎は絶滅に瀕した「幽霊族」の夫婦の忘れ形見。だが、埋葬された母の胎内から地上へと這い出てきた時は無力な嬰児にすぎず、保護者役の目玉おやじの助力なしでは生きて行けない運命だった。
その肝腎の目玉おやじ、母と相前後して死んだ「幽霊族」の父(重病のミイラ男)の、半ば崩壊した顔から、片方の目玉が1個流れ落ち、目玉のみで「ピクピク」と甦ったものだ(視神経や眼筋が体・手足になった)。
強烈な蒐集癖と眼力の確かさ
かなりグロテスクな目玉の流れ落ちる遺体の絵は、見覚えがあった。いや私が水木さんの仕事場で見た実物は写真だった。
水木さんは絵の資料用に、新聞・雑誌等の写真を貼りつけたスクラップ帳を使っていた。紙芝居時代に開始して300冊以上。
ある日取材で、見せてもらった。数冊ペラペラとめくって、不意に手が止まった。
事件の現場写真だった。殺人事件なのかあるいは自殺、変死事件か、現場検証のように遺体も写っている。そのうちの1枚が、崩れた顔から目玉が1個流れ落ちる写真なのだ。
「この写真、どうしたんですか?」
私が尋ねると、水木さんが答えた。
「ああそれね、資料探してて、神戸の古本屋で見つけたんです。戦争直後は警察とか検察とか、そういうところの内部資料が、市場に一部出回ったんです」
神戸時代といえば、「極貧」の紙芝居作家の頃。私は目玉おやじの出現シーンを思い出しながら、その時は「よくもなけなしの金で」と強烈な蒐集癖と眼力の確かさに感心した。
ところが今回、『総員玉砕せよ!』を読み直して、新たな思いに至った。
ラストシーンで水木さんを思わせる玉砕部隊の最後の1人、丸山2等兵が銃撃を受け死んで行く。「誰にみられることもなく、誰に語ることもできず・・・・・・ただわすれ去られるだけ・・・・・・」と呟いて。その時の銃撃で崩れた顔、あけた口、見開いた両眼、がまさにスクラップ帳の遺体そのものなのだ。片目は流れ出ていないが、その顔は、死ぬ前の鬼太郎の父(ミイラ男)の重病の顔とも瓜二つ。
水木さんは目玉おやじ出現の場面で「種族を守る執念」「不思議な生命力」と書いているが、その思いは、空しく死んだ丸山ら一兵卒の遺志につながり、変死して流出写真にのみ痕跡を残す無名の人の無念さにも重なる。
時代を超えた庶民の無念の思い・・・・・・。水木さんの遺したメッセージは予想以上に重く、深いと感じた。
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