2024年11月22日(金)

山陽新幹線各駅停車の旅

2016年4月16日

エッセイ「なくなる風景、ある風景」

 目覚めてすぐに窓を開けると、どうにか昨日の小雨もあがっていた。まだ空は厚ぼったいねずみ色のベールをまとっていたけれど、傘を持ち歩かずに済むだけでも随分と気が楽だ。

 人もまばらな朝の大手前通りを、姫路城に向かって急ぎ足で進む。昨晩あんなにも、おでんやらラーメンやら食べたのに。おなかはすっかりからっぽで、早くなにか口に入れたい。途中、「姫路駅」とおでこに掲げたオレンジ色のバスとすれ違う。逆向きのバスを見送りながら、あとで乗ってみたいと思うのだった。

 家族旅行で立ち寄った「大陸本店」で朝食をとる。姫路で一番古い喫茶店は芸術家の応接室を思わせるセピア色の趣がありながら、気さくさがあり居心地もよく、再訪を決めていたのだ。前はおやつどきのティータイムに訪れて、めいめい飲み物を注文したのだが、思いがけずサービスに7人分のケーキがついてきて、みんなで目をまるくした。そのとき食べた、甘じょっぱいアーモンドトーストが忘れられず、コーヒーとともに迷わず注文。アーモンドバターを塗って香ばしく焼いた厚切りのトーストを噛みしめると、塩気と甘さが同時にじわっと口に広がり、アーモンドの粒が舌をくすぐる。姫路の喫茶店では昔から当たり前にあるメニューらしく、隣の席の老紳士も新聞片手に慣れた手つきでぱくぱく口へと運んでいた。

 この旅に同行したアシスタントのまきこさんを含め、私には幼少期を姫路で過ごした友人が4人いる。そのうちのひとりは姫路発祥の今川焼き「御座候」が大好物で、あんこたっぷりの素朴な菓子を、実にいい表情でかぶりつく。朝食後に訪れた「御座候 あずきミュージアム」では、彼女の顔が頭に浮かび、あずきについて学びながら、ついつい顔がふにゃっとほころぶ。「ここに来たら喜ぶだろうなー、帰ったらすぐにおみやげ話を聞いてもらおう」。できたてホクホクの御座候をぱかっとふたつに割りながら、片一方を彼女に届けられたらいいのにと思う。

 さて、お昼は駅から少し離れた「かどや」へ。行きは姫路駅からタクシーで向かい、帰りは念願の地元バスに乗った。旅先で乗車するバスは、行き先も料金も停留所も間違いがないか冷や冷やするが、スリルやハプニングも旅の醍醐味だ。

 再び基点の姫路駅へ戻り、山陽姫路駅から山陽電鉄でひとつ隣の手柄駅まで。

 「子どもの頃、よく家族で遊びに出かけた思い出の場所があるのですが。ぜひ行ってみませんか?」まきこさんのひと声で、午後からの行き先はすぐに決まった。

 駅から500メートルの手柄山中央公園の「回転展望台」と「ひめじ手柄山遊園」を童心にかえって訪ねて巡り、回転展望台喫茶店から姫路で育った友人たちに、辺りの写真を携帯メールで送る。すると、「懐かしい!」「30年前と変わっていない!」、気持ちの昂りがひしひしと伝わる返事がすぐさま返ってきた。

 「休みのたび父や母に、手柄山の遊園地や回転展望台に行きたいとねだった」

 2、3メールを交わすうち、友人のメールが郷愁に満ち溢れ、こちらまできゅっと切ない。

 私の前に今あるのは、友人たちの幼い日のアルバムにも写る景色。父や母や兄弟姉妹と、はしゃいだり、喧嘩したり、お弁当を食べたり、1枚ずつフイルムで大切に記念写真を撮ったり、特別な時間を過ごしただろう。

 人はふと旅先で、“あの日の景色”に再会する。手柄山の風景と、私のアルバムの中にある動物園や遊園地や海などの“あの日の景色”が重なった。

 


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