「教官というものはクセがあって、大切な問題をくりかえして出す。平素から教官をよく観察しておけば、おのずから出題がわかる」
後輩はおそるおそる質問した。
「ヤマをかけるのは卑怯ではありませんか」
秋山先輩はにやりと笑った。
「試験は戦いとおなじだ。戦いには戦術が要る。戦術は道徳から解放されている。卑怯もなにもない。索敵偵察しないで勝てるか」
秋山真之が「自啓自発」して勉学するのは、いずれ「実施」するためです。
だから、戦争の学問を学ぶ方法は、すなわち戦争を実施する方法でなければならない。
教授になるために経営学を学ぶ人がいても差し支えありません。しかし、みなさんが経営学の本を読まれるのは、実践するためでしょう。学び方がちがうはずです。
明治23年、秋山真之は海軍兵学校を首席で卒業しました。1000点満点中、918・4点でした。海軍では首席生徒の姓でその年度卒業生とを総称します。第17期生は「秋山クラス」と呼ばれました。
常に戦況を分析する
明治27年、日清戦争が起きます。7月23日、伊東祐亨〔すけゆき〕中将ひきいる連合艦隊が佐世保から出動した。秋山真之少尉も巡洋艦「筑紫」の航海士として勇躍参戦します。だが、この砲艦は竣工10年の老朽艦ですから、黄海海戦にはお呼びがかからなかった。
憤懣やるかたない秋山少尉は同期生に不平不満の手紙を送りつけます。
「天の時、地の利、人の和、すべてよくありません。こんなことでは、敵の主力艦定遠、鎮遠、来遠、経遠をいつまでも生かしておくことになるでしょう。嗚呼、情けないことです」
秋山少尉は不満をぐちっただけではない。戦闘詳報を熟読して結論を得ます。
「主将(伊東)の計画措置には殆ど欠点なかりしも、受令実施官に於いては欠点なしと言ふこと能わず。比叡の突貫とか、赤城の苦戦とか、西京丸の猛進とか、談柄として面白き出来事の起こるものは、皆これ戦術上の失態にして、完全無欠に実施された戦術は、殆ど無臭味にて、戦談の種子もなく、戦況に光彩もなく、また誰に大功績あるも分からず、而も全軍一様に最大の戦闘力を発揮し、大功を全局に収め、勝果の獲得最大なるものなりとは、古今東西の兵書にも相ひ見え居り候」
敵北洋艦隊は12隻中5隻を失った。わが連合艦隊は「松島」が大破したものの沈没は1隻もなかった。みなが大勝利と浮かれるなか、27歳の秋山少尉はまるで司令官のような視線で、冷静に評価を下していました。
あなたが27歳なら、平成不況の現状に不平不満でしょう。そこで、ぐちっているだけでは、秋山先輩に叱られます。社長になったつもりで、自分なりの評価をまとめましょう。