先輩の記者が「彼は〝大下枠〟で入ったんよ」と説明した通り、新井入団は駒大の先輩に当たる当時のヘッドコーチ、大下剛史氏の強力な推薦によるもの。「大下さんが取れと言わなかったらいまの新井はない」と、昔の経緯を知る広島OBの誰もが口をそろえる。なぜなら「大学時代は打てない、守れない、走れない。スカウトの評価では、到底プロで通用するとは思われていなかったから」だ。
実際、若手のころはポカが多かった。1年目から一軍でチャンスを与えられ、本塁打も7本打ったが、打率は2割2分1厘。とくにチャンスに弱く、ベテランの投手にかかると簡単に打ち取られてしまう。加えて、守備がひどかった。三塁ではよくエラーをするからと一塁に回されたら、ここでもほぼ定位置のフライを捕り損ねたりする。まだツーアウトなのにスリーアウトと勘違いして、捕った球を相手のベースコーチに渡し、その間に走者に本塁へ帰られて試合を逆転された、という漫画のようなミスまでしでかしたほど。
新井には何度煮え湯を飲まされたか
当時、広島コーチとして守備や打撃を新井に教えた山崎隆造氏は、私のインタビューに対し、冗談交じりにこう語ったことがある。 「まったく新井には何度煮え湯を飲まされたか。シーズンにチームで100個ぐらいエラーしたら、半分の50個は新井と東出(輝裕・現打撃コーチ)。新井がひとりで25個か」
現実にはそこまで多くエラーしてはいなかったが、新井の三塁失策の自己最多記録は2005年の21個。06年も19個もエラーしており、2年連続セ・リーグの失策王となっている。その新井が阪神移籍1年目の08年、一塁に固定されたら1個しかエラーをせず、リーグ最高の守備率9割9分9厘で自身唯一のゴールデングラブ賞を受賞したのだ。
受賞が決まった翌日、新井は山崎氏に電話して、「山崎さんのおかげです」と感謝したという。これには山崎氏も「そんなん、いまごろ言われてものう」と苦笑いだった。
どんなに失敗を繰り返しても、新井はいつも一所懸命だった。だからみんなに愛された。記者席で「やっぱり新井はダメじゃのう」という声が上がるたび、「いやいや、そういうことを言うちゃあいけんのよ。本人は必死でやっとるんじゃけえ」と言っていたのは広島OB解説者の大野豊氏。新井の2000本安打には、そんなふうに新井を見守ってきたOBや記者の思い出がたくさん詰まっている。
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